4-12 <九段の丘>

パイを分けあっても、座席に坐れても

限られた一枚のパイがあります。これをそこにいる人々が平等に分けあうのが社会正義であることを主張したのがカール・マルクスでした。また彼は皆が平等にバスに乗れ、座席に坐れるようにならなければならないと説きました。マルクスと同時代の人ゼーレン・キエルケゴールの人間理解は、マルクスと異なり、より深いものでした。彼は、バスに乗ったとしても、バスの座席や内部構造を変革し、すべての人々が公平に、楽しく坐れるようになったとしても、そのバス自体が深い谷に向かって転落しつつあるとすればどうなるかを問いかけました。

確かに、日本だけに注目したとしても、マルクス的視点からも問題だらけです。弱い立場にある人たちや意識ある者たちは、無神経な人たち、特に権力を持ち責任ある地位についている人たちに対して、しきりに反省を求めています。日本のなかでさえこれだけの格差、差別があり、しかも有効な努力もできないままに、問題を先送りしているのは困ります。世界的規模の問題に、わたしたちは取り組む責任があるからです。大変でも、逃げない姿勢が大切です。

けれどももう一つの面を忘れてはいけない。それがキエルケゴール的視点です。ヒューマニズムでは片づけられない人間の「罪」の問題を解決しないで、わたしたちに真の平安は訪れません。「罪」とは聖書では「的をはずす」とか「離反」という意味があります。わたしたちの努力が無駄にならないためにも、<真に畏れるべきお方を畏れなければ>なりません。主イエス・キリストが復活の勝利を遂げられたとは、死ですべてが終わりではない、死を貫いて、希望があることを信じさせてくれます。また、心の問題に真摯に取り組む時、今日の日本に山積している諸問題を解決できるようになるのだと思います。

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