4-19 <九段の丘>

宗教の万国博覧会

友人とわたしは、博覧会に行きました。<宗教の万国博覧会>です。貿易見本市ではありません。宗教の見本市です。でも競争は同じくらい激しく、宣伝は同じくらい騒々しかったのです。

<ユダヤ教展示場>では、<神>は<完全にあわれみ深い方>で、ユダヤ人は<選ばれた民>であると、書かれた資料をもらいました。他のどの民族もユダヤ民族のように<選ばれ>ていないのです。

<イスラム教展示場>では、<神>は<完全に慈悲深い方>で、マホメットだけが、<預言者>である、と教えられていました。救いは<神の預言者>に耳をかたむけることによってのみ、なされるのだというのです。

<キリスト教展示場>では、<神>が<愛>であり、<教会>の外にはどんな救いもないことを発見しました。<教会>に加わるか、永遠の破滅に身をさらすかどちらかなのです。

外に出ながら、わたしは友人に尋ねました。「<神>についてどう思う?」友人は答えました。「<神>は偏屈で、狂信的で、残酷だよ!」

家に帰るとわたしは<神>に言いました。「主よ、どうしてこんなことを耐え忍んでおいでなのですか?あの連中が、何世紀もの間、あなたの悪名を高くしてきたとはお思いになりませんか?」

<神>は言われた。「わたしが博覧会を組織したわけではないのだよ。わたしは恥ずかしくて、そこを訪れる気にもならないのだ。」

(アントニオ・デ・メロ『小鳥の歌』より)

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宗教に確固たる信頼をおくことにより、自らを自由にし、自分の生活を花咲かせることは、すばらしいことです。ただ、人を排斥したり、人を縛るものであるなら、それは<神>を悲しませることになるのでは?

 

(追記。「信仰と理性」とを対立的に論ずる場合があります。理性も神さまの賜物であるとするならば、わたしたちは自らの信仰の故とは言いながら、理不尽と思える命令に従うことはないでしょう。理性に反してまで、常識や良心を咎めるような言動は厳に慎むべきでは。)

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