7-5 <九段の丘> 

禅的生き方に学ぶ

酒処では、新酒ができるときき酒ということをいたします。検査官や税務員が立ちあって、いちいち酒の味をみて、これが一級だ、これは二級だとか決めるのです。そのとき、きき酒をする人は、口に含んだ酒を、ひとつ味わうたびに全部きれいに吐き出してしまいます。そうしないと、次の味が分からなくなるからです。つまり、舌が<無>でないと、ものの本当の味がわからないのです。<無>であることが大切です。これとおなじように、意識が常に<無>でないと、わたしたちは真実を認識することはできないのです。

意識がいつも本来の<無>であることです。それが、わたしたちを正しく世界を認識して行くために、大切な条件です。わたしたちが世界をみる場合、古い経験と知識によって、つまり先入観によることが多く、その上利己的な種々の雑念が加わりますから、純粋にそのものを見ることはほとんど不可能です。

禅の必要なことは、そういう古い経験と知識、記憶を捨てて、ほんとうに純粋な人間の、先験的意識をもって世界を見てゆくことにあります。(以上、山田無文『禅を解剖する』より翻案させていただきました)

鏡のような心をもって、この世を素直に受け止めるところから、すべてを始めたいものです。できる限り先験的意識、偏見を取り除きたいものです。

 

 

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