10-4 <九段の丘>

手を挙げるだけでは

日本のクリスチャンは、特にわが日本キリスト教団の信者は、勉強家だった。教会で、社会で、様々な問題が起こると、すぐそれについての勉強会をする。問題点がどこにあるのか、どうしたら解決できるのか。そのために専門家を読んで研究会までする。結果、自分たちもちょっとした専門家になる。神学的な分野になると、牧師は書斎に閉じこもり、関係の書類は読み漁る。結果、これまたちょっとして専門知識を振り回す存在になる。しかし、それで満足し前進しない。そこまで。最近では、若い世代は本を読むことも少なくなっている。心配だ。
ただ、ただ、手を挙げて「主よ、主よ、わたしたちを憐れんでください」と祈るだけで、それ以上に時と宝と汗を流す人間の努力がなければ、教会は何も変わらない。神さまも助けようがないのだ。
神人協力説ではないが、ある神学者が言う。「祈りとは、あなたが精一杯尽くした後の、神さまから約束である」最善を尽くして、その後、御心がなることをゆだねるのだ。人間の限界を超えたところのことは、神さまに大胆に期待する。
日本の教会の存亡が問われている。みな心配して、何とかしなければならないと先日のセミナーにも多くの人たちが参加していた。でもセミナーで問題点をあぶりだして、納得して終わりでは、何も変わらない。わたしたちの信仰生活は、もっとダイナミックに行動が伴うべきであろう。
・・・・わたしたちに時間は残されているのだろうか。

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