5-29<九段の丘>

   主を求めるなら
「彼(ウジヤ王)は、父アマツヤが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った。神を畏れ敬うことを諭した預言者ゼカルヤが生きている間、彼も主を求めるように努めた。彼が主を求めている間、神は彼を繁栄させられた」(歴代誌下26:4~5)
 3代目のソロモン王が死ぬと、王国は北と南に分裂し、それぞれの国の王たちは、実にコロコロと変わりました。しかもすべての王がダビデのように信仰的ではありませんでした。神ならぬ神を拝むバール礼拝にも心許し、その信仰に全く一貫性はなく、まちまちでした。父王が神に一方的に逆らっているかと思うと、その子供は大変信仰的であったり、またその逆であったりしました。
 ここにウジヤの例を取り上げます。聖書からの引用です。「彼が主を求めている間、神は彼を繁栄させられた」とあります。ウジヤが信仰的に生きようと決心し、その一歩を踏み出す時、神さまは直ちにその姿勢を評価して祝福されたのです。
 どういうことでしょうか。わたしたち人間は所詮罪深く、完全ではない。そのことをいちばんよく知っておられるのが、わたしたちを創造された神さまご自身であられます。ですから、神さまはわたしたちの人間の不完全さを責められません。ダメなものはダメなのですから。期待できません。それにも関わらず、神さまはわたしたちの姿勢を問題にされるのでしょう。
 わたしたちもダメな者です。でもダメはダメなりに、憐みの主にすがって生きていくなら、神さまは祝福してくださるのです。素晴らしい!

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