8-21<九段の丘>

                              神を賛美することこそ
一つの思い出がある。アメリカ留学時代、神学校の教授である音楽博士のY先生は、神学校では伝統的な教会音楽を教え、毎日チャペル礼拝のオルガンを演奏されていた。その先生が日曜日になると、小さな集会で奏楽を担当されていた。楽器はアップライト・ピアノで、ほかにはスネアドラムをブラッシでたたく黒人の青年一人だけ。けれども、先生は実に楽しそうに讃美歌を伴奏していたのを思い出す。クラッシクからジャズ、コンテンポラリ-と幅の広い守備範囲で自由闊達に演奏されていたことだ。
モダンジャズについてのコメントに、弟の光比古から珍しく高い評価をしてもらったことがある。クラッシックだけが正統であるかのような狭い音楽理解が、教会の一部に横行しているが、現代ある様々な音楽をそう簡単に断定しきれるものではないだろう。
堅苦しければ教会音楽なのか。ジャズはクラッシックに比べて劣るなどと思うのは勝手だが、その狭い考えにしがみつくのは愚かなことだ。
わたしの神学校の後輩の牧師に、演歌大好き人間がいた。礼拝で演歌こそ歌わなかったが、気に入った演歌の歌詞を材料に、よく説教をしたものだ。そして、にやりと笑って、一言。「演歌って、本当にイイデスネ!」
って。演歌好きの礼拝出席者だっているだろう。
結局のところ、好みのちがいでしかないことを思い知るべきだし、楽器や音楽の種類が問題ではなく、演奏する人の心のあり方こそが問われるのだろう。

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