9-11<九段の丘>

                                               内村鑑三
 札幌にいたときは、多くの友人にかこまれて、楽しい教会生活だった。それが、東京にかえると、家には儒教信奉者のきびしい父がおり、職場には、きつねのようにずる賢い上司がいた。そして、唯一の心のやすみ場である教会には、教派という冷たい一面があった。
 明治のはじめ日本のキリスト教には、教派などなく、ただ、キリストにつながる愛だけがあった。それなのに、いったいどうしたのだろうか。
 内村はキリストを中心とした愛によってのみ成る札幌教会しか知らなかったので(彼はここでハリスメソジスト監督より洗礼を受けた)、東京で接した教会の雰囲気があまりにちがうため、とまどってしまった。田舎者でも貧乏人でも、わけへだてなく、あたたかく受け入れてくれる愛のある教会が欲しい—-彼は切実におもうのだった。
 純粋な内村の心は、キリストの愛を疑うようなことはけっしてなかった。しかし、信じる人たちの内側にある冷たさを、彼の知性がするどく見抜いていた。教会も、職場も、家庭も、すべてキリストの手のうちにあることを知っている。それだけに、それに不満をもつことは、キリストに不満をもつのも同じだというふうに考え、自分の心の狭さや罪深さを、たまらないほどに感じる内村であった。

 信仰の取り組みの中で、内村鑑三は、純粋に聖書の学びを中心とした集りを志した。それが聖書研究会になり、結果として、形式にこだわらない無教会主義のグループへと成長していくこととなる。彼は多くの人材を育てた教育者であり、当時の社会に対する預言者の声だった。

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