12-25<九段の丘>

                                 み旨、御心のままに
 一方通行的に与える、相手のために喜ぶことを為す。また、自分が納得するように、相手が感謝を表さなくても裁かない。右手の行った善の行いを、左手にさえも知らせない。
自分の善き行いは直ちに忘れ、相手がしてくれた親切は感謝をもって忘れないようにする。頭で、そのように考えることはたやすいが、いざ現実の世界で実行することは難しい。が、それが、わたしたちの理想とするところでもある。
 そんな時、思い浮かぶのが讃美歌536番。
      むくいをのぞまで ひとにあたえよ、
   こは主のかしこき みむねならずや。
   水の上に落ちて、ながれしたねも、
   いずこのきしにか 生いたつものを。
       あさきこころもて ことをはからず、
       みむねのまにまに ひたすらはげめ。
       かぜに折られしと 見えし若木の、
         おもわぬ木陰に ひともや宿さん。 
 お礼を期待しての親切は、本当の親切ではない。そんなことは異邦人でもしていると。イエスさまはおっしゃる。そんな安っぽい善意があふれているなら、この世は闇だ。表面的な単純な受け止め方、評価によって他人を見ずに、ひたすら主の御心がなることを信じて、誰に対しても最善を尽くす。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です