九段教会コラム

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9-17<九段の丘>

2017年09月16日

                                      最大のギャンブラー

列王紀上17章に、預言者エリヤがサレプタのやもめに信仰の一歩を踏み出すように求めた話が載っている。飢饉で、彼女にはもはや最後の一食分しか食べる物は残っていなかった。このような時に預言者が思いがけず現れ、その食料を分けて欲しいと頼んだ。「これがわたしたちに残っているすべてです」と彼女は抗議した。「これをたべてしまえば、息子とわたしは死ぬのを待つばかりです」

「このことを約束しよう」とエリヤは言った。「もしわたしに分けてくれるなら、壺の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない」彼女はこの言葉に賭け、神さまの約束は成就されたと書かれている。

感情におぼれず理性を求める現代社会では、これはいわゆる信じがたい聖書の話の一つにすぎないと言えるかもしれない。クリスチャンでさえ、時にはこう考えている自分に気づくものだ。「いい加減にしろ。ウソだろう!」

しかし神さまはそういうお方なのだ。現代では神さまの働きはこれほど奇蹟的でないにしろ、神さまこそ<与え主>であられ、わたしたちの必要を満たしてくださる方なのだ。

以上のことは、信仰がいつの時代にも一つの賭けであることを示している。クリスチャンは賭け事はしない、ある種の優良な人々である。けれど、それはウソかもしれない。なぜなら、クリスチャンこそ最大のギャンブラーで、自分の人生を神さまの約束に賭けていくのだから。あのサレプタの女は預言者エリヤが与える神さまの約束に賭けた。そして息子ともども命をながらえた。

わたしたちはどうか?不信仰の塊か?わたしたちの教会は大胆に賭けているか?