九段教会コラム

このコーナーでは、教会からのコラムや行事等についての記事を投稿します。(不定期更新)


3-19<九段の丘> 

2017年03月19日

                      きょうが初日の千秋楽だ
 大相撲大阪場所が中日を迎えました。わたしの好きな言葉に「きょうが初日の千秋楽だ」があります。これは相撲とか芝居の興行界の言葉で、当事者たちが四六時中緊張し続けろということではない。むしろ、常に新鮮な気持ちで相撲をとり、舞台に上がりつづけろという意味でしょう。
さて、わたしの心を探ってみると、常にそのような前向きな積極的な生活態度を持ち続けていないことに気づきます。確かに「あしたできることは明日にすればいい」という思いもあり、何もきょう慌ててあくせくすることはないと思う場合も確かにあります。けれども、ではきょうの一日を充実して輝いて一所懸命生きているかどういかは問題です。いつも何か理由をつけては、実行を遅らせているならば、やはり素晴らしい生き方からはほど遠いと言わなければなりません。
人の命についても。明日を信じて生きることはすばらしいことですが、あしたをあてにしてきょうをぐうたらいきるのは間違っていると思います。
わたしたちが朝早く起きて、聖書を読み、こころ静かに祈ってはじめる一日は、不思議とすばらしく充実し、仕事もはかどります。そのように一日を終え就寝前に、振り返るなら充実感を味わうことができるでしょう。しかし、神さまを退けて、あたふた一日を始めると、不思議とばたばたと時間が過ぎて行き、何の成果も上がらずじまいです。
『何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。』(マタイ6:33)信仰の日常的実践なのでしょう。

3-12<九段の丘>

2017年03月11日

    ワインを飲むと
 箱舟を出たノアは農業をはじめる。以前、彼は農機具製造で忙しかった。その技術で箱舟をつくることができた。納得!ところが洪水後、製品を売ろうにも自分たち一家だけしか人間がいないからビジネスが成り立たない。そこで、自ら土地を開墾し畑を作った。ノアはとりわけ葡萄が好きだった。
 ユダヤの伝説では、ノアが葡萄畑を作っているとサタンがやってきた。 「ノアさん、何を作っているんですか」
 「葡萄畑をつくっているんだよ。いずれ美味しいワインを飲もうと思ってね」
 「じゃあ、わたしも手伝いますから、仲間に加えてください」
 ところが、ある夜、サタンはその葡萄畑にこっそりやって来て、まず羊を殺し、羊の血を畑の中に混ぜた。次にライオンを殺して、ライオンの血を畑に混ぜた。その次に猿を殺して、猿の血を混ぜ、最後に豚を殺して、豚の血を畑に混ぜた。
 やがて
    葡萄は収穫され、美味しいワインができた。
 ノアはワインを飲んだ。最初は気持ちよく、羊のようにオトナシカッタ。だんだん酔いが回ってくると、今度はライオンのように居丈高になって大声で吠えはじめた。そのうち、さらに愉快になって猿のように踊り始めた。最後には酔いつぶれて、豚のようにうずくまって寝込んでしまった。
 これ以来、ノアに限らず、ワインを飲むとだれでもこういうことを経験するようになった。

◆次の礼拝のご案内◆

2017年03月06日

        2017年3月12日(日)10時30分   
        受難節第2主日
     説教『人間の弱さと強さ』
      聖書 第二コリント12:7、13~14
    メッセンジャー:髙田和彦
※主イエスさまのお苦しみを覚える季節になりました。贅沢を慎み、謙虚に、克己して生活しましょう。

3-5<九段の丘> 

2017年03月05日

                            ささいな一言 
3000年ほど昔の話。旧約聖書サムエル記にアブネルという武将が出てくる。イスラエル王国初代の王サウルの戦死後、その子イシュ・ボシェトとダビデが王位争奪戦をやっていた。もともとアブネルはサウルに仕えた軍の司令官である。けれども、彼はイシュ・ボシェトからある時、女性のことで叱責をくう。そのことで頭にきた彼は、ダビデ側に寝返ってしまう。
ある大きな老人ホームの話を聞いた。施設の最上階にマンション風の立派な職員住宅をつくったのだそうだ。ところがその無料の住宅にだれも入りたがらず、いまだにその大部分は空き家であるという。人のはそれぞれ私生活というものがある。だれからも干渉されたくない部分が人には必要なのだろう。
他者を尊重するということは、その人のわからない面を認めるということかもしれない。相手のすべてを知りたい、という欲望は所有欲、支配欲であって愛ではない。愛とは、友人、夫婦、親子関係においておたがい相手のわからない面を認めることによって成り立つ関係である。
イシュ・ボシェトが王になれず、ダビデが王になれた分かれ目が、自分の部下に対するささいな一言であったことは興味深い。

2-26<九段の丘> 

2017年02月27日

  心を満たす
[教師や親が悪を排除することによって<よい子>をつくろうと焦ると、結局は大きい悪を招き寄せることになってしまう]
[自立ということが強調されすぎた現在のアメリカの風潮の中に<人間がいくら「自立」しても、それがすべて神に従うというのならいいのだが、神を忘れた自立になったので問題が生じてきたように思われる>]
[信頼のないところには自立はありえない。自己中心は、他を否定するか、無視するか、本当の自立は他者との関係において達成される]
以上が河上隼雄先生の『こどもと悪』に述べられている。わたしは、聖書の次の箇所を思い出す。
「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、みつからない。それで『出てきたわが家に戻ろう』と言う。そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの7つの霊を連れてきて、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」(ルカ11:24~26)
教師も親も、こどもたちが健やかに成長して欲しいと願っています。しかし、こころを掃除するだけでは、真の解決にはなりません。場合によっては、むしろ悪くなることが指摘されます。からだを鍛えることも、頭を鍛えることも悪くありません。が、最も大切なことは、あなたのこころを真空にすることではなく、まことの神様との関係で満たしておくことです。