九段教会コラム

このコーナーでは、教会からのコラムや行事等についての記事を投稿します。(不定期更新)


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◆次の礼拝のご案内◆

2016年03月09日

2016年3月13日(日)10時30分   
                   説教『二つの裏切り』
                   聖書 ルカ22:54–62
※イスカリオテのユダだけが、裏切り者であり、福音書の悪役ではありませんでした。シモン・ペトロも同じようにイエスさまを裏切っています。その裏切りの方が、もしかすると赦しがたいものであったのかもしれません。ユダとペトロ—-この二人は、どこでどのようにして違ってしまったのでしょうか?


3-6 <九段の丘>

2016年03月05日

                                         戒めに忠実に
  ○「あなたたちは、あなたたちの神、主が命じられたことを忠実に行い、右にも左にもそれてはならない。あなたたちの神、主が命じられた道をひたすら歩みなさい。そうすれば、あなたたちは命と幸いを得、あなたたちが得る土地に長く生きることができる。」(申命記5:32,33)申命記ははじめとっつきにくい書物であったが、付き合っていくうちに、その素晴らしい味わいがジワリとでてくる。確かに、神さまに忠実に従うことは堅苦しいように思われる。奔放に生きることこそ、自由で、人間らしいような気がする。一時はそのように思うだろう。けれども、人生は長い。せっかくいただいた命を、人生を大切にしよう。
  ○「狭い門から入れ」と勧められる。その後に続く御言葉を見落としている人が多い。その後にこう続く。「・・・滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」 (マタイ7:13,14)
  ○「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6:4,5)聖書の信仰の中心がここにある。人間らしく生きたいなら、主を愛し、主に従うことだ。
  ○「・・・心おごり、あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい。・・・それは、あなたを苦しめて試し、ついには幸福にするためであった。あなたは、『自分の力と手の働きで、この富を築いた』などと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約をはたして、今日のようにしてくださったのである。」(申命記8:14a,16b–18)そして、ここにこそ成功した人への警告がある。謙遜に、感謝して生きろ!と。


2-28 <九段の丘>

2016年03月05日

                                           神礼拝とは
  確かに説教は大切です。しかし、日曜日に教会で神さまを礼拝するとは、単に説教を聞くことだけではありません。メッセージを聞くだけならカセットテープでもTV礼拝でも構わないわけです。わざわざ教会まで足を運ぶ必要はありません。しかし、教会に集まって同信の友と心一つにして礼拝を奉げるのは、神さまのお求めになることだからです。そして礼拝は、オルガンの前奏から後奏までを一つのものとして受け止めるのです。そこに盛り込まれている礼拝のプログラム一つ一つが神礼拝全体を形成しているのです。そこに、一つとして無駄なものはありません。
  やむをえない事情で、遅刻する場合がありますが、そうでなくて礼拝に遅れることは、あまりほめられたことではありません。昔から、カトリック教会などに比べプロテスタント教会は、説教に重きが置かれているがゆえに、信徒の中には、説教の時間に合わせて遅刻してくる方々がいらっしゃいました。これは大変な思い違いです。
  また、後奏も待たず、そそくさと帰られる方もいます。もちろん、特別な御用が待っている場合は仕方ありません。ですから一概に批判すべきではありませんが、祝祷をしている間に姿を消す方には、牧師の方が苦笑してしまいます。<・・・そんなに急いで、どこ行くの?>
  礼拝の形も、今日いろいろです。わたしたちが慣れ親しんでいる礼拝式は、それなりの歴史があって今の形になったのは事実です。これについては2つのことが言えます。だから、この形をしっかりと守っていこう、とする考え方が一方にあります。しかし、もう一つは、それでも時代と共にわたしたち自身が変化してきているので、当然わたしたちの心に響く感動的な礼拝を模索していくことも必要だということです。


◆次の礼拝のご案内◆

2016年03月05日

2016年3月6日(日)10時30分   
 説教『ゲッセマネの祈り』
   聖書 マタイ26:36~46
※主イエスさまのお苦しみは、実のところわたしたちには想像がつきません。いろいろ推測してもし切れるものでもありません。鏡は、わたしたちの姿を映し出します。時に喜び、時に愕然とします。


◆次の礼拝のご案内◆

2016年02月24日

                       2016年2月21日(日)10時30分   
                         説教『最後の晩餐での出来事』
                     聖書 ヨハネ13:1~20

※教会の暦では21日が「受難節第3主日」です。40日のお苦しみの季節ということで、「四旬節」ともいいます。旬は10日を表しますから、十日x4=40日になるわけです。
※※この時期に身を慎んで、贅沢しない分をためておいて、復活祭におささげする「克己献金」を提案しましたが、どうでしょうか?
※※※この日の奏楽は、弟の春彦が担当します。オルガニストです。平塚からわざわざ来てくれます。