九段教会コラム

このコーナーでは、教会からのコラムや行事等についての記事を投稿します。(不定期更新)


◆次の礼拝のご案内◆

2016年05月09日

                               2016年5月15日(日)10時30分   
                  聖霊降臨祭(ペンテコステ)
                      説教『聖霊に満たされよ』
                         聖書 ルカ9:21~27

※クリスマスのことを降誕祭、イースターのことを復活祭、ペンテコステのことを聖霊降臨祭と言います。キリスト教の3大祝祭日です。イエスキリストが誕生しなければ、救い主はこの世に来ませんでした。そのイエスさまが十字架にかかり復活しなければわたしたちに祝福と勝利がもたらされませんでした。そして、ペンテコステがなければ、神さまの聖霊はこの世にもたらされず、教会は誕生しませんでした。
3つとも極めて大切なものです。来る15日は教会の誕生日でもあります。
            ハピー・バースデイ to 教会!


5-8<九段の丘>

2016年05月09日

信仰偉人伝の勧め
  礼拝堂の3階部分に、3か所に本棚があります。一つは、祈祷室で、そこにはわずかしか置いてありません。バルコニーの後ろにある書庫には、様々な資材、資料、各教会から送られた記念誌、教会史などのほかにも雑本に紛れて、結構興味深い書籍もあります。歴史を刻んだものも散見できます。さらに、小集会室(=母子室)。赤ちゃん連れの方にはガラス越しに礼拝に参加できる空間です。印刷機がおいてあるのは、会堂の中で一番乾燥している場所だからです。この一角の本棚には、シリーズものや絵本、童話があります。一般向けと、やはり教会ならではのものもあります。
 宮沢賢治全集、灰谷健次郎の本シリーズなどと共に、少年少女信仰偉人伝があります。60巻もあるという事は、日本のみならず世界の信仰の先人たちを60人集めているという事です。信仰は理屈ではありません。生き方です。その点、信仰に生きた偉人たちのそれぞれの生き様を、わかりやすくのぞかせていただくのは素晴らしいことです。特に、少年少女のために著者たちが心を砕いて書いています。これらは宝です。
 貸し出しなどに特別のルールはありません。気楽にその60冊のなかから借りて読んでみたらどうでしょう。ここに収められている先達は、みなある意味個性的な方ばかりです。生前にはその熱心さゆえに誤解された方々も多かったようです。ジョン・ウエスレ―然り、ビリー・グラハム然りです。中には、命がけでキリストを証しした方もいました。わたしたちが知らない人、あるいは名前だけ知っているような方たちのことも知る機会になるのでは?


◆次の礼拝のご案内◆

2016年05月04日

 

2016年5月8日(日)10時30分
母の日礼拝
説教『みこころがなりますように』
聖書 サムエル記上15章
マタイ6章9-13

※母の日は、産んでくれた母に感謝し、
母を与えてくださった神さまに感謝する日です。


5-1<九段の丘>

2016年05月01日

「みこころがなりますよに」
定期教会総会は無事に終わりました。新しい年度の計画も予算も決まりました。決まったと言っても、方向性が漠然と示された程度です。問題は、それを実のあるものにしていく努力がこれから問われます。教会で何もかもきっちり決めて、それで実際にそれを決定通り実行できるかと言うと、ほとんどの場合、無理でしょう。
一般社会でも、具体的な案を提示したところで、それを完璧に実現できる例は見たことがありません。ということは、どの世界でも似たりよったりのことが行われていることになります。それは、結局のところ努力目標なのかもしれません。むしろ、そのことをうたいながら、組織団体として、力を合わせて前進していくことができたら最高でしょう。ある意味、結果は後からついて来るのですから。
幹事の半数改選も行われました。これも、少しずつ人が入れ替わっていきます。あまり激しく幹事が入れ替わることは、一長一短があり、現状がベターだと思います。今回も、3人任期満了で、そのうち2人が再任され、1人が入れ替わりました。これでいいのでしょう。
新しい年度標語は「みこころがなりますように」です。ありきたりのように思われるでしょうか。しかし、その意味するところを実行するとなると、日々努力のいることがわかるでしょう。本年は、機会ある毎に、サムエル記に出てくる人々と神さまとのやり取りから、具体的に信仰のあり方を模索していきます。 


4-24<九段の丘>

2016年04月23日

                              キョロキョロ、ウロウロ
 「遠回りしたいんだね、きっと。真実ってやつに真っ直ぐに向かうんじゃなくて、あちこち回り道をして、できれば、ちがうゴールにたどり着きたい。それが夢だな」「人生のゴールが死であることは、みんな知っている。だからといって一刻も早く死にたいとは、普通、誰も思わない。あちこち寄り道しながら、自分の死を納得させてくれる何かを捜していく。遠回りこそ、生きることの本質なのだとわたしは思う」(吉岡忍「まるでおとぎ話のように」)
プロセスをたいせつにしたい。昔、<狭いニッポン、そんなに急いでどこ行くの?>という交通標語がありました。ミヒャエル・エンデ『モモ』の中に出てくる「時間ドロボー」を思い出します。これは生きることすべてにかかわることであるように思われます。
いつも車で走る駅までの道をブラリと歩いてみましょう。立ち止まり、誰かさんの家の門を飾るきれいな花を眺めてみるのもいいでしょう。もと来た道を戻る勇気も必要かもしれません。あなたの精神衛生のためにも、キョロキョロ、ウロウロするのがいいのです。
「遠回りが人を豊かにする、寄り道が人の魅力になる、回り道が年輪を刻む」と吉岡氏が結論していることに注目したい。