九段教会コラム

このコーナーでは、教会からのコラムや行事等についての記事を投稿します。(不定期更新)


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8-6<九段の丘>

2017年08月15日

                                         何もしない
 夏休みです。家族と友達と、海へ、山へ。海外旅行?   ・・・・うらやましいですね。どうかご自分で、オリジナル・プランをたててみてください。パック旅行、お仕着せ旅行も無責任で気楽ですが、あまり思い出に残るものではありません。それよりも、行った先で「何もしない」豊かな時を持つことは、得難い命の洗濯になります。
 もう48年ほど昔のことになります。留学中、ひと夏テキサス州のヒューストンから北北東120kmにあるリビングストン国立公園にある教会キャンプのリーダーとして働いたことがありました。ひと夏で、一回10日間のキャンプを3回こなしました。男女1組のリーダーが、最大5名の男の子と5名の女の子と「家族」を形成するのです。大体中学生の子供たちで、人種はさまざまでした。わたしたちはそれを「生活キャンプ」と呼びました。2~3日で終わってしまうプログラム・キャンプとは、全く質の違いを感じました。時間はたっぷりありました。
 外部からなにも要求されません。何をしなくてもいいのです。しかし、何もしないことの難しさを味わうことになりました。そこに、このキャンプの狙いもありました。都会の子供たちにとっては貴重な体験でした。今なら、スマホやテレビのない生活です。初日には、スケジュール表が与えられましたが、そこには何も書いてありません。全部自分たちで相談して決めるのです。森林の中のキャンプサイトですが、わたしたち12人以外、木立の向こうから声は聞こえてきますが、姿は見えません。トイレや食堂は全体のキャンプ場の中央に位置しています。
 文明から解放されるのです。生の人間同士がお互いを見つめ直すので、すばらしい発見も可能です。「家族」内では、時にトラブルがありました。こういうプロセスがありました。はじめ表面的な交わりから入ります、・・・争い・・・いがみ合い・・・悩み・・・話し合い・・・和解・・・内面的な交わり=真の友情の確立へ。以上の体験ができたのも10日もあったからでしょう。ひと夏、3回も別の「家族」を経験し、わたし自身も随分と勉強になりました。「なにもしない」人間性を回復するキャンプでした。


7-19<九段の丘>

2017年08月15日

                                          夏期伝道実習

 夏は、神学校に学ぶ者にとっては、特別な時間を過ごすときです。時間の使い方によって、その後のことがすべて決まると言ってもよいほどです。わたしの場合ははみ出し者で、在学中6回ある夏休みの半分は海外に出ていた。じっくり腰を据えて勉強する時間もなかった。5年目が夏期伝道実習で、卒業年度は修士論文作成で終わった。
 ところで近年では、神学校卒業までに2回夏期伝道実習をしなければならないと聞く。かなり厳しい条件だ。
 どこかの教会に派遣され、約1か月、その教会(信仰共同体)に溶け込んで、伝道者としての生活に徹する。右も左も分からないなりに、できる限り奉仕する。伝道者のいない地方の小さな群れに遣わされる場合は、全部任される場合が多く、それだけ信者の方々に歓迎される。
 都市型の大きな教会に遣わされると、自ら率先して仕事を見つける場合と、全部がマニュアル化されていて、なすべき奉仕がびっしり与えられる場合がある。
 当教会の神学生は、来週の23日から、来月の20日まで、約1か月を当教会を実習の場として選び、奉仕することとなった。期間中5回のうち3回の礼拝奉仕をすることとその他のできる限りの奉仕をすることとなる。教会員の方々のお支えとお祈りをお願いします。


8-13<九段の丘>

2017年08月15日

                                   新渡戸稲造伝記より
★「主イエスキリストの生涯は短かった。その愛は簡単で、それは実行である」と新渡戸は言った。「渇いている人に一杯の水を与えよ。これが本当のクリスチャンだ。右手のすることを左手に知らせない。隠れてよい行いをする人にならなければならない」
 彼は、キリスト教の儀式や形式に気をとめなかった。ただ神を信じ、心の底から聞こえてくる静かな声に耳を傾け、聖書のことばに従うように、心をさとらせようとした。
★彼はよく言った。
「人は、かならずいつか願いがかなえられる時が来るものだ。いつもそのつもりでおれば必ず成る。キリストは『門をたたきなさい。そうすれば開かれる』と言われたけれど、その通りだよ」
★彼は、生徒に、
「一日に一度は、独りになって瞑想し、内省すること、祈ること」を折にふれて言う程度であった。しかし、これらは、彼の理想とする、
「おのずから身についた信仰がその人格に滲みでて、その人格が人を感化することを理想の宗教教育としたい」ということが、浸透していくことになった。
★日米関係の改善のために渡米した新渡戸に対して、日本の友人が送ってくれたたくさんの聖書のみことばの中で、もっとも深い励ましを受けたのが
「エホバを待ち望む者は、あらたなる力を得ん」(イザヤ40:31)であった。  新共同訳は、「主に望みをおく人は新たな力を得る」


7-23<九段の丘> 

2017年07月23日

                                                         心を豊かにしてこそ…
『風の扉』を読む。夏樹静子の力作である。先端医療の行きつくところ、臓器移植の究めつけ、頭と胴体の接合手術を取り扱った近未来小説である。脳死問題とも絡む。これは、医療があくまでも生きた人間をトータルに治療できるか、医師の知的好奇心、医療技術の発展のみに目向けられることへの疑問を含んでいる。
巻末で「解説」を担当したS氏がこんなことを紹介している。「….以前、病院のベッドで本を読んでいたとき担当の医師から、文学はそんなに面白いものですか?医学は人を救うものですが、文学は人を救わなくてもいいのでしょう、わたしは文学は読みません、と言われてギョッとしたことがある。」と。わたしもギョッとした。
 経営の神さまと呼ばれたP.ドラッカーは、二言目には、経営者たちに社会を知り人間理解のためには小説を読みなさいと勧めた。
 以前、朝日新聞の文化蘭の対談で、五木寛之氏が、「すぐれた文芸作品には、本当に自然に育成される宗教的な感情がある。もっと小説を読んでくれるといいですね。人間の命が大切だとわかりますから。」と、相手の水上勉氏に言っている。
小説を読もう。推理小説も楽しいが、わたしたちに人生を考えさせ、人の命の尊さを教えてくれる小説を読もう。

7-9<九段の丘>

2017年07月09日

                              梅雨だ、どこかで油でも売るか!  

 

「さぼる」とは、「怠ける」という意味ですが、フランス語の「サボ(木靴)」からとられ「サボタージュ」になって日本わたってきたのが大正時代と言われています。そして日本語の「る」をつけて、「サボる」になったそうです。  

この「サボる」と同じような意味に「油を売る」というのがあります。これはずっと古く室町時代かにさかのぼります。当時京都には「油座」という油業者の組合ができて、この業界はたいへん儲けたそうです。ですからこの業界で働く人たちは一様に豊かで、こせこせ商売はせず、悠々とやっているので、遊び半分の気の乗らない商売をしているように見えたのです。その様子を見て、人々は「あのひとは油を売っている商人のようだ」「あの人は油を売っている」と言ったのです。 また、油の行商が升から徳利に移すとき、油が切れるまで待たなければならないので、世間話をしたりタバコを吸ったりしました。その様子から、怠けること、手間取ることを「油を売る」と言われるようになったという事です。

「油を売る」とはあまり良い意味で使われないようですが、こんな梅雨の季節だから、時にのんびり油でも売って気を晴らしてはいかがでしょう?   

疲れた者、重荷を負う者はだれでもわたしの元に来なさい。休ませてあげよう。(マタイ11:28)