九段教会コラム

このコーナーでは、教会からのコラムや行事等についての記事を投稿します。(不定期更新)


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5-24 <九段の丘>

2015年05月23日

  神さまに忠実に生きて・・・

祝福をいただくために、引き出すために努力をしているか?いや、わたしは祝福などいらぬ、とおっしゃる方もあるだろう。祝福を狭い、自己中心的な或いは物質的なものと捉えるか、それとももっと根源的なものまで含めるかによっても当然ニュアンスは異なる。ここでは、広い意味での祝福と理解しよう。

先ず自分に死に、更に、主イエス・キリストと共に十字架に死ぬ。そして然る後、主と共に復活し、主の勝利に与る者となる。これが、イエスさまがわたしたちにお示しくださった<勝利の方程式>だ。けれども、日々の生活において、わたしたちは余りにも自己中心的ではないか?自分が努力して得たものであればあるほど、手放せと勧められても、放棄しようとしない。

一体、主のお勧めを拒絶する信仰などあるのだろうか。先週の礼拝では、世界の大富豪といわれたロックフェラーの母の教えを紹介した。自分が真実だと思うからこそ多くの方々に祝福に近づいていただきたいがために紹介した。10あるがその一部分でも、あなたが実生活で行うことを期待する。以下まとめて、箇条書きにしてみる。ひとつひとつ説明を要するが。

○実の親以上に、神さまに仕えなさい。

○神さまの次に、牧師に仕えなさい。

○常に十分の一献金をすること。

○誰であっても、敵はつくらない。

○礼拝では、いつも一番前の席に座る。

○朝一番に神さまの御言葉を読み、就寝前に、その日を振り返り悔い改めの祈りをささげる。

彼は貧しいときから<母の遺言>を忠実に守った。彼は生涯において、天文学的な額の献金と寄付をした。結果、ロックフェラー医学研究所とロックフェラー財団をはじめ、シカゴ大学など12の総合大学と12の短大、4928の教会を建てて、社会に貢献した。彼は確かに特別だったかもしれないが、しかしある意味特別ではなく、まさに神さまに忠実に生きて、祝福をいただき、それを分かち合った人だったのではないか。

 


5-17 <九段の丘>

2015年05月15日

  教会の誕生日

 キリストが十字架につけられ殺された。どうすることもできずに手をこまねいていた弟子たち。万事窮す。あのキリストとの日々は一体何だったのか。夢のように過ぎ去ったキリストのとの3年間が虚しい。

ところで3日目にキリストは復活された。その後、40日にわたって、弟子たちに現れて新しい神の祝福の約束をお与えになった。「まもなく聖霊によって洗礼を授けられる」「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力をうける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土でまた地の果てに至るまで、わたしの証人となる」

復活祭からちょうど50日目の五旬祭(五十日祭=ペンテコステ)に、祈っていた弟子たちに神の霊がくだった。それまで敵対者たちの目を逃げ隠れていた弟子たち。上からの力を受けて、部屋の戸を破り、街頭に出て、イエス・キリストを宣べ伝えはじめた。不思議な光景だった。特別に訓練を受けたわけでもない、ただ言われるままにひたすら心を合わせて祈っていただけ。そこに神の霊なる聖霊がくだる時、人々は変えられた。

正式には『聖霊降臨祭』、そのときの祭りの名前を拝借して、『ペンテコステ』と呼ぶようになった。それが、キリスト教会の誕生の由来。アジアの西の端の小さな国からはじまったキリスト教は、多くの迫害に負けず、いや迫害のお陰で各地に散らされ広まった。2000年後の今日、アジアの東の端に島国の日本にも、その教えはしっかりと根を下ろしている。人々を幸せにする聖霊パワーって、すごい!

来週5月24日は『ペンテコステ』です。


5-10 <九段の丘>

2015年05月13日

  本当にシカタガナイでいいのか?

 カレル・ヴァン・ウオルフレンが書いた『人間を幸福にしない日本というシステム』という本がある。彼は長きにわたって日本に拠点をを置いて世界的に活躍しているジャーナリストだが、日本人に向けて書き下ろしたのが本書である。愛情を込めて。かなりの売れ行きらしい。

今までわたしが思ってきたことを、彼は見事に代弁していてくれるのには驚きだ。例えば、過去の大地震の被災者の場合もそうだが、あらゆる分野のあらゆる種類の人たちが、二言目には「シカタガナイ」を連発して、諦めていることである。シカタガナイ(仕方がない)としても、次にはそうでない方向に個人も社会も努力すべきだと思う。けれど、立ち上がり発言したり、批判行動を起こしたりしない。もっと始末が悪いのは、責任あるはずの者が「想定外」と平然と言って責任回避すること。更にそれをマスコミをはじめとする周囲の者が追求しない風潮だ。

「ガタガタ言うのは大人げない」「自分さえ我慢すれば済むことだ」そう言う。クサイものにフタ!だから、ちっともわたしたちの生活はよくならない。

もっと、自分の残りの人生のため、子供たちのため、将来生まれてくる孫たちのために、あらゆる矛盾に目を向けることだ。当たり前に感じる矛盾を矛盾として指摘し、改善するように監視し、努力すべきだ。住みやすい、人間として当たり前に幸せを謳歌できる社会を築く努力を今のわたしたちがしないで、一体誰がするの?

困った時だけ「シカタガナイ」と言って、長いものには巻かれるような生活をしていて、日本は愛するに足りる祖国たりえるのか?大人が国や社会や会社に対して諦めの姿勢でいて、子供たちが夢や幻を持っていないと批判できるか?「子供は大人の姿を写し出す鏡だ」とはよく言ったものだ。

 


5-3 <九段の丘>

2015年05月03日

   ネパール大地震

 インド大陸プレートとユウラシア大陸プレートが地球レベルでぶつかり押し合いへしあいしている、接点に位置するのがネパールだ。地球が誕生したある時期までは、この二つのプレートは遠く離れていたが、いつの頃からか接近しはじめ、遂にはぶつかり、今の形になった。

日本の場合には、一方のプレートがもう一方のプレートの下に入り込み、地震を起こすが、ネパールの場合は、それが上へ押し上げられエベレスト山脈を形成するに至った。まさに、地球という星はいまも生きているということでしょう。

今回の大地震が起こったのが4月25日の土曜日でした。わたしたちのチャイルド・ファンド・ジャパンの事務局スタッフの休日返上での対応は早かった。それぞれが、電話で、メールで情報収集に。日曜日には、支援者の問いかけに応答する形で、応援寄付の窓口を開設する事ができ、3日目には、120名から100万円を超える募金が集まり、この僅か1週間で募金は200万を超え300万円になろうとしている。この手の対応は初動2~3日が勝負だと言うことを痛感した次第です。

わたしたちのような小さな団体が大きなグループと肩を並べて働くためには、自分たちにしかできない奉仕に特化していくべきであろうと思われます。幸いにもわたしたちには他に11カ国の支援仲間がいます。彼らも、わたしたちを必要に応じて応援を約束していてくれます。確かに、お金も大切ですが、もっと大切なのは、理念であり、人材の質の高さが求められているのでしょう。

九段教会でも募金を呼び掛けるところですが、直接インターネットで「チャイルドファンド・ジャパン」とアクセスしていただければ情報を得られますし、寄付送金もできますので、よろしくお願いします。

 


4-26 <九段の丘> 

2015年05月02日

    青春に生きる

「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。バラの面差し、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは怯懦(キョウダ=臆病で意志の弱いこと)を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神はチリになる。

六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、幼な児のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から神から美・希望・嘉悦・勇気・力の霊感を受けるかぎり君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷に閉ざされる時、二十歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ希望の波を捉える限り、八十歳であろうと人は青春に生きる。」

 

以上は、サムエル・ウルマンの言葉だ。力強い生きた言葉は、わたしたちを真に励ましてくれる。