九段教会コラム

このコーナーでは、教会からのコラムや行事等についての記事を投稿します。(不定期更新)


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5-3 <九段の丘>

2015年05月03日

   ネパール大地震

 インド大陸プレートとユウラシア大陸プレートが地球レベルでぶつかり押し合いへしあいしている、接点に位置するのがネパールだ。地球が誕生したある時期までは、この二つのプレートは遠く離れていたが、いつの頃からか接近しはじめ、遂にはぶつかり、今の形になった。

日本の場合には、一方のプレートがもう一方のプレートの下に入り込み、地震を起こすが、ネパールの場合は、それが上へ押し上げられエベレスト山脈を形成するに至った。まさに、地球という星はいまも生きているということでしょう。

今回の大地震が起こったのが4月25日の土曜日でした。わたしたちのチャイルド・ファンド・ジャパンの事務局スタッフの休日返上での対応は早かった。それぞれが、電話で、メールで情報収集に。日曜日には、支援者の問いかけに応答する形で、応援寄付の窓口を開設する事ができ、3日目には、120名から100万円を超える募金が集まり、この僅か1週間で募金は200万を超え300万円になろうとしている。この手の対応は初動2~3日が勝負だと言うことを痛感した次第です。

わたしたちのような小さな団体が大きなグループと肩を並べて働くためには、自分たちにしかできない奉仕に特化していくべきであろうと思われます。幸いにもわたしたちには他に11カ国の支援仲間がいます。彼らも、わたしたちを必要に応じて応援を約束していてくれます。確かに、お金も大切ですが、もっと大切なのは、理念であり、人材の質の高さが求められているのでしょう。

九段教会でも募金を呼び掛けるところですが、直接インターネットで「チャイルドファンド・ジャパン」とアクセスしていただければ情報を得られますし、寄付送金もできますので、よろしくお願いします。

 


4-26 <九段の丘> 

2015年05月02日

    青春に生きる

「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。バラの面差し、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは怯懦(キョウダ=臆病で意志の弱いこと)を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神はチリになる。

六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、幼な児のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から神から美・希望・嘉悦・勇気・力の霊感を受けるかぎり君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷に閉ざされる時、二十歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ希望の波を捉える限り、八十歳であろうと人は青春に生きる。」

 

以上は、サムエル・ウルマンの言葉だ。力強い生きた言葉は、わたしたちを真に励ましてくれる。

 


4-19 <九段の丘>

2015年04月18日

 宗教の万国博覧会

友人とわたしは、博覧会に行きました。<宗教の万国博覧会>です。貿易見本市ではありません。宗教の見本市です。でも競争は同じくらい激しく、宣伝は同じくらい騒々しかったのです。

<ユダヤ教展示場>では、<神>は<完全にあわれみ深い方>で、ユダヤ人は<選ばれた民>であると、書かれた資料をもらいました。他のどの民族もユダヤ民族のように<選ばれ>ていないのです。

<イスラム教展示場>では、<神>は<完全に慈悲深い方>で、マホメットだけが、<預言者>である、と教えられていました。救いは<神の預言者>に耳をかたむけることによってのみ、なされるのだというのです。

<キリスト教展示場>では、<神>が<愛>であり、<教会>の外にはどんな救いもないことを発見しました。<教会>に加わるか、永遠の破滅に身をさらすかどちらかなのです。

外に出ながら、わたしは友人に尋ねました。「<神>についてどう思う?」友人は答えました。「<神>は偏屈で、狂信的で、残酷だよ!」

家に帰るとわたしは<神>に言いました。「主よ、どうしてこんなことを耐え忍んでおいでなのですか?あの連中が、何世紀もの間、あなたの悪名を高くしてきたとはお思いになりませんか?」

<神>は言われた。「わたしが博覧会を組織したわけではないのだよ。わたしは恥ずかしくて、そこを訪れる気にもならないのだ。」

(アントニオ・デ・メロ『小鳥の歌』より)

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宗教に確固たる信頼をおくことにより、自らを自由にし、自分の生活を花咲かせることは、すばらしいことです。ただ、人を排斥したり、人を縛るものであるなら、それは<神>を悲しませることになるのでは?

 

(追記。「信仰と理性」とを対立的に論ずる場合があります。理性も神さまの賜物であるとするならば、わたしたちは自らの信仰の故とは言いながら、理不尽と思える命令に従うことはないでしょう。理性に反してまで、常識や良心を咎めるような言動は厳に慎むべきでは。)


4-12 <九段の丘>

2015年04月12日

 パイを分けあっても、座席に坐れても

限られた一枚のパイがあります。これをそこにいる人々が平等に分けあうのが社会正義であることを主張したのがカール・マルクスでした。また彼は皆が平等にバスに乗れ、座席に坐れるようにならなければならないと説きました。マルクスと同時代の人ゼーレン・キエルケゴールの人間理解は、マルクスと異なり、より深いものでした。彼は、バスに乗ったとしても、バスの座席や内部構造を変革し、すべての人々が公平に、楽しく坐れるようになったとしても、そのバス自体が深い谷に向かって転落しつつあるとすればどうなるかを問いかけました。

確かに、日本だけに注目したとしても、マルクス的視点からも問題だらけです。弱い立場にある人たちや意識ある者たちは、無神経な人たち、特に権力を持ち責任ある地位についている人たちに対して、しきりに反省を求めています。日本のなかでさえこれだけの格差、差別があり、しかも有効な努力もできないままに、問題を先送りしているのは困ります。世界的規模の問題に、わたしたちは取り組む責任があるからです。大変でも、逃げない姿勢が大切です。

けれどももう一つの面を忘れてはいけない。それがキエルケゴール的視点です。ヒューマニズムでは片づけられない人間の「罪」の問題を解決しないで、わたしたちに真の平安は訪れません。「罪」とは聖書では「的をはずす」とか「離反」という意味があります。わたしたちの努力が無駄にならないためにも、<真に畏れるべきお方を畏れなければ>なりません。主イエス・キリストが復活の勝利を遂げられたとは、死ですべてが終わりではない、死を貫いて、希望があることを信じさせてくれます。また、心の問題に真摯に取り組む時、今日の日本に山積している諸問題を解決できるようになるのだと思います。


4-5 <九段の丘>

2015年04月03日

              イースター・エッグって知ってる?

教会では、クリスマスを「固定祝日」に対して、イースターを「移動祝日」といいます。毎年、<「春分の日」の後の、満月の後の、日曜日>と決められているからです。移動の幅は、春分の日直後から約1カ月、つまり4月中旬までです。

全世界のキリスト教会は一年の中で一番喜ばしい日として祝います。日本のデパートでもコンビニでさえも最近ではこのイースターにちなんで特設売り場を設けるまでしています。ただ、毎年、その日が移動するので苦労しているようです。

どの特設売り場にいっても必ずあるのがニワトリの卵に似せたチョコレートかお菓子です。ヨーロッパなどでは、このイースターの季節になると、街角などで可愛いお嬢さんたちがゆで卵をきれいなカゴに入れて売る姿を見かけます。

たまごは堅い殻につつまれて一見その中に命などを宿しているようには見えません。しかし、親鳥がしっかりその羽のしたに抱える時、新しい命の誕生となります。それでキリストが十字架上に死なれ、三日の後、よみがえった、そのシンボルとして卵が用いられているとも言われます。

わたしたちの教会でもきれいなイースター・エッグを用意しています。