九段教会コラム

このコーナーでは、教会からのコラムや行事等についての記事を投稿します。(不定期更新)


11-29 <九段の丘>

2015年11月28日

            アドベント
アドベントとは、『来臨』のこと。主イエスの降誕を迎える心の準備をすると共に、再臨の準備の時ともされます。昔、フランス、スペイン地方の教会で、クリスマスに洗礼を受ける準備期間を40日守る習慣がありました。のちにローマ教会がこれを取り入れるようになり、クリスマスを迎える準備の時として、11月30日に最も近い主日(日曜日)から始まるものとされ、降誕節4週間前の日曜日から、救い主を待ち望むように守られています。

12月25日が土曜日の年は、その第1主日は11/28になり、月曜日だと12/3がその日になります。今年は11月29日。この日から、教会の暦は新しく変わります。

アドベント・クランツを飾る習慣もあります。ローソクを4本立てますが、このローソクにくりすます4週間前の日曜日から、1本ずつ点火します。最後に4本とも点火されるとクリスマスになります。

ことしのクリスマス礼拝は、12月20日を予定しています。イブ礼拝は24日(木)18時からです。また、今週の土曜日は好評の「クリスマス・コンサート」ガひらかれます。


11-22 <九段の丘>

2015年11月24日

 収穫の感謝の仕方
『あなたは、畑に蒔いて得た産物の初物を刈り入れる刈り入れの祭りを行い、年の終わりには、畑の産物を取り入れる時に、取り入れの祭りを行わねばならない』
(出エジプト23:16)

この祭りは、ユダヤ暦7月15日(秋分の日に近い満月)から一週間守られました。これはへブル人の年末、すなわち秋の収穫を終わって守られるものでした。春の小麦の収穫、7週の祝いとともに、神への感謝の祭りでした。

日本では国民の祝日である「勤労感謝の日」(11月23日)が、「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう日」として1947年に定められました。第二次世界大戦前は、この日を「新嘗祭(にいなめさい)」と呼び、皇室祭礼の行事の日でした。

アメリカで清教徒が11月第4木曜日に、収穫感謝祭を守ったこれらの日に合わせて、11月第4日曜日に収穫感謝祭を守るようになりました。

教会ではこの日に、果物、その他の収穫されたものを持ち寄り、愛餐の時にを持っています。キリスト教主義の学校や幼稚園では、それらの収穫物を前に感謝祭礼拝をささげ、放課後有志によって日頃お世話になっている警察・消防署、また老人ホーム病院へ慰問が行われています。


11-15 <九段の丘>

2015年11月17日

セレブレーション・オブ・ラブ(COL)

「御言葉を宣べ伝えなさい。折りが良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです」 (IIテモ4:2)

日本キリスト教団が発足した当初から所属教会の総数はあまり変わっていないのではないか。今日1700の教団関係の教会がある。70年前には、日本のプロテスタント教会の中心に位置していた、わが教団であった。今日、あまり正確なデータは定かでないが、いわゆる非教団系の福音教会が1700以上あると聞く。その他いろいろを合計すると8000ほどになるらしい。
いよいよCOLが20日から日本武道館で始まる。九段教会は前線基地として用いられる。人材協力も資金協力も十分できない。せめていま与えられている資産をもっての協力だ。会場の玉ねぎ屋根が見える道路を隔てたところにあるのだから、他の教会には真似できない。
今回のような大衆伝道が即教会形成につながらないという批判もあるが、詰まる所アフターケアの問題だ。伝道大会から紹介されてきた求道者をどのように受け入れるかは、ひと重に受け入れ側の問題ではなかろうか。十分なる受け入れ態勢がなく、相変わらず旧態依然とした体制では人々は定着しないだろう。
最近しばしば耳にするのが<教会の伝統>という言葉だ。それは一体何を意味するのか。伝統を正しく守るとは?「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はない。・・・新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるべきだ。」(マタイ9:17)の譬えは、恐ろしいほどの真実味をもって、わたしたちに迫ってくる。
まことの伝統とは、受け継いだ遺産を豊かに用いて、新しい時代に適応させていくものだ。そのための変化を恐れてはならない。140年の九段教会の歴史を誤解してはならない。


11-8 <九段の丘> 

2015年11月13日

                                  こころの成長を

 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。

                                                                       (コヘレトの言葉12章1)

 コヘレトの言葉は、一読すると無常観が漂っています。しかし、だからこそ、全能者なる神さまを一日も早く知ることこそが、人生に意味を与えることであると、主張するのです。神を知らずして、わたしたちの人生に真の豊かさなど見出しえないことを教えてくれるものです。これは、ひとがこの世に生まれ落ちてから変わらない追求すべき真実なのです。

 さて、毎年11月15日に近い日曜日の礼拝で、「幼児祝福式」を行います。今年はぴったり15日です。それぞれに授かったこどもとお父様、お母様方に集まっていただき、本人たちとそのご家族ともどもにお祝いすることです。
 昔から知育、徳育、体育と申します。知的成長、肉体的成長と共に心の成長が重要です。ところが実際はどうでしょう。学校以外でも、塾通いやお稽古事をし、スポーツ教室に通わせてはいるが、肝心の心の成長には無頓着ではいただけません。
 教会学校にお子さんを通わせている母親が、自分の娘の成長に驚かされたことがある、と喜んでいらっしゃいました。それは地道な日々の積み重ねでしたが、娘さんが神さまを礼拝し、賛美し、神さまのお話を聞いてきたからだというのです。
 上記の旧約聖書からの引用を、あなたはどう受け止めますか?「若き日に、あなたの造り主を覚えよ」と!


11-1 <九段の丘>

2015年11月04日

                                半 歩 前 進

「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」(第二テモテ4:2)

先週の礼拝後の懇談会は、久しぶりの試みとしてはよかったと思います。テーマは<伝道>でした。当たり前のことが、当たり前に取り組まれていることの重要性を思います。逆に、取り組まれていないとき危機感さえ覚えます。短時間でしたから、多くの方々の意見をいただくことはできませんでした。それでも、何人かの方から、日ごろ思っていること感じていることを、率直にお聞きできたのは幸いでした。
わたしの手元に『求道者伝道テキスト』なるものがあります。30課からなる70ページほどのものです。著者のS牧師のライフワークともいうべきものでしょうか。ご本人をはじめ多くの伝道者たちが教会形成、求道者訓練において伝道の実をあげてきたものです。
日本中の牧師がこのようなすぐれたテキストで求道者を育てていくとき、日本の教会の将来は本当に希望のもてるものになると信じています。ただこれに取り組むには伝道者の根気のいることです。
常々思うのは、牧師が本業で忙しいのは、結構なことであるが、本業以外のところで忙しすぎるのは、いただけないということです。
・・・・わたしたちが毎週教会に来たとき、<10年1日に変わらない>というのはいただけません。毎回、何かが違う、チョット違うというのは良いことだと思うのです。少し変化し、ちょっとだけ前進するのは、結構うれしいことです。人間は、大幅に変わると抵抗を感じるものです。けれども、ちょっとの変化は刺激的で歓迎するのです。
わたしたちの日々の努力と工夫で、ちょっとずつ、一歩とは言わず半歩でも前進しようではありませんか。