九段教会コラム

このコーナーでは、教会からのコラムや行事等についての記事を投稿します。(不定期更新)


◆次の礼拝のご案内◆

2016年01月29日

                 2016年1月31日(日)10時30分   
                説教『生活に愛を働かせなければ』
                   聖書 ローマ12:9~21

※先週の続きのメッセージになります。ご期待ください。信仰生活と言いながら、生活と信仰が一致しないのがわたしたちのようです。的外れなのです。ギリシャ語では、的外れのことを<罪>といいます。罪深いのです。その罪深さに気が付いてもらいたい人ほど、人ごとのように生きて、反省がありません。今度のメッセージを聴いて、あの人は反省してくれるかしら?自らの罪に恐れ震えおののいて、祈りに導かれれば最高です。   (髙田和彦)


◆次の礼拝のご案内◆

2016年01月23日

  2016年1月24日(日)10時30分   
    説教『信仰を実践』
   聖書 ローマ12:1~8

※2か月に1度、弟・髙田春彦が平塚から来て、礼拝奏楽をしてくれます。みんな喜んでくれるので、わたしも喜んでいます。よい礼拝ができますように。
※※おでかけください。          (髙田和彦)

 


1-17 <九段の丘>

2016年01月16日

                                      礼拝と楽器
 礼拝の中で楽器が使われるようになったのはいつのころからか厳密にはわかない。どんな楽器が使われたのかも定かでない。人間の歴史ほど古い話であることは誰もが認めるところだろう。
創世記4:21には次のように記されている。最も古い記事かもしれない。「その弟はユバルといい、竪琴や笛を奏でる者すべての先祖となった」竪琴、琴が聖書の中で最も多くみられる楽器だ。サムエル記、歴代誌には、ダビデが自ら竪琴を奏で神さまを賛美した記事をたくさん見ることができる。弦を使った楽器はいろいろだ、それらがハープの前身になった。

笛、横笛、角笛、ラッパなどは、いろいろな形があった。人間の息を使う楽器として、賛美の場で用いられた。管楽器の原型がここにある。木製、金属製、様々なものを一つにして、これが後のパイプオルガンに発展していく。中世などでは、電気がなかったので、下僕たちがオルガン演奏のために建物の裏にいてフイゴで空気を送り、演奏者はその助けによって音楽を奏でることができた。ただフイゴの大きさが、音量の大きさに比例し、それがオルガン全体の大きさにも比例しただろうから、今日のような大きなパイプオルガンは存在しえなかった。多分もっと素朴なものだったと思われる。

打楽器ではシンバル、鈴、太鼓と、生活の身近なものをいろいろ材料とした。高らかに、心躍らせ神さまを賛美するときの必需品だった。手拍子も打楽器としての賛美の業として用いられたことも聖書の中から推察できる。
(『キリスト教礼拝・礼拝学事典』(日本キリスト教団出版局)を参照)


◆次の礼拝のご案内◆

2016年01月11日

2016年1月17日(日)10時30分
    【創立141周年記念礼拝】
  説教『伝統に生きる教会とは?』
  聖書  箴言29:18
     第二コリント4:16~5:10

※創立年は1875年(明治8年)です。キリシタン禁令が解かれたのが明治6年です。わずか2年後がわが九段教会の誕生日です。日本で第10番目のプロテスタント教会と言われています。
※※礼拝の中では、一人の兄弟の入会式がありますが、礼拝後に特別なお祝いの会はいたしません。兄弟を歓迎する機会は近々する予定です。
※※※ご出席くださり、祝福してくだされば幸いです。


1-10 <九段の丘>

2016年01月10日

 ローマ12章9~21
 「ただ見せかけだけで人を愛してはいけません。真心から愛しなさい。悪いことを憎み、良いことには味方しなさい。兄弟のような愛情で互いに愛し合い、また、心から尊敬し合いなさい。決して仕事を怠けず、熱心に主に仕えなさい。
あなたがたのために神様が計画しておられることすべてを喜びなさい。
困難の中でじっと耐え、常に祈りなさい。
クリスチャンが困っている時には、助けてあげなさい。
客を家に招いてもてなし、宿が必要なら泊めてあげるようにしなさい。
クリスチャンだからというので、だれかに危害を加えられても、のろってはいけません。むしろ、神様がその人を祝福してくださるように祈ってあげなさい。
悲しんでいる人がいたら、いっしょに悲しんであげなさい。
互いに心を一つにし、楽しく働きなさい。
お高くとまってはいけません。
偉い人に取り入ろうとせず、かえって、平凡な普通の人々と喜んで交際しなさい。
何でも知っているなどと、思いあがってはいけません。
悪いことをされても、決して仕返しをしてはいけません。
だれが見ても、あなたがたの正直さを認めるように行動しなさい。
だれとも争ってはいけません。できる限りあらゆる人と仲良くしなさい。

愛する皆さん。決して自分で復讐してはいけません。復讐は神様に任せなさい。なぜなら、神様が、「当然報復を受けなければならない人には、わたしが報復する」と言っておられるからです。むしろ、あなたの敵が飢えていたら、食べさせてやりなさい。そうすることによって、あなたは、「敵の頭上に燃え盛る炭火を積むことになります。つまり、彼は、あなたにしてきたことを思って、恥じ入るようになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善を行うことによって、悪に打ち勝ちなさい。(リビングバイブルより)