九段教会コラム

このコーナーでは、教会からのコラムや行事等についての記事を投稿します。(不定期更新)


◆次の礼拝のご案内◆

2016年02月24日

                       2016年2月21日(日)10時30分   
                         説教『最後の晩餐での出来事』
                     聖書 ヨハネ13:1~20

※教会の暦では21日が「受難節第3主日」です。40日のお苦しみの季節ということで、「四旬節」ともいいます。旬は10日を表しますから、十日x4=40日になるわけです。
※※この時期に身を慎んで、贅沢しない分をためておいて、復活祭におささげする「克己献金」を提案しましたが、どうでしょうか?
※※※この日の奏楽は、弟の春彦が担当します。オルガニストです。平塚からわざわざ来てくれます。

 


2-21 <九段の丘>

2016年02月20日

 和解の福音
  1972年、アメリカの留学から帰って、最初の仕事が日本キリスト教協議会奉仕部主事の仕事だった。わずか半年であったが、鎌倉の実家から早稲田のキリスト教会館へ通勤した。教派を超えて実に多くの教会指導者たちと接触したことはよかった。その後、横浜の神奈川教会の滝沢陽一牧師のもとに身を寄せた。1973年10月から、わたしは代田教会の伝道師として働かせていただいた。2年2か月、主任担任牧師の小川治郎師に仕えた。
  母教会の鎌倉教会でよりも代田教会の小川師のもとで、わたしは伝道者としての訓練を受けたと思っている。教会事務、役員会の運営、説教・礼拝に臨む姿勢など、すべて学ばせていただいた。以下、小川牧師のご本からのメッセージ。

  「和解ということは、人間の深い心からの願いのように思います。人間は単に物質的なことだけで生きているのではありません。心、精神というものが本当は基礎になって生きており、また、そういうものの中に生きがいを感ずるものです。従って人と人との間の和解が欠けてまいりますと、本当の意味で平和が内にはありません。それは、人間はただ物ではなくて一個の人格だからです。人格が他の人格に対して含んでいる、いわゆる敵対の関係をもっておりますと、それは本当の姿ではありませんので、長く続かないものです。
  マルコによる福音書でキリストは、「あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに和らぎなさい」(9:50)と言われました。塩をもつとは、しっかりして生活をすることでありましょう。自我を確立させることでありましょうが、そのことは他の人と和らいで、共に生きる心持がないと、頑なになってしまって、正しい生活ができません。」(小川治郎『先立ちたもうキリスト』より)


2-14 <九段の丘>

2016年02月13日

 伝道は日常的なこと
  「信徒の友」2月号の内藤留幸師巻頭メッセージから。ドイツからの女性宣教師キュックリッヒ先生から教えられたことが紹介されていました。わたし自身も、ある研修会で直に同先生にお会いした事がありました。その先生が選ばれた聖書は、一見何の変哲もないものでした。
  創世記37:15~16「その人は彼に尋ねて言った。『あなたは何を捜しているのですか』彼は言った。『兄弟たちを捜しているのです。・・・・・』
  キュックリッヒ先生の教えのポイントは「伝道とは自分の兄弟たちを捜すような、ごく日常的な愛のわざの積み重ねだ」と。その後、キュックリッヒ先生のお働きの紹介があり、内藤師は、終わりに次のように結ばれました。
  「わたしたち信仰者にとって伝道は、主から託された使命です。変に力まず、救いの福音を語りながら、自分の兄弟を捜すような思いで、周囲の人々に愛の心をもって接していきたいものです。」
  教会の勢いがなくなると、伝道論が盛んになります。どうしてよいか分からないので、伝道についての知識を集め、頭に詰め込もうとするのです。そうしないと落ち着かないからです。そうしないと神さまに咎められると思うからです。でも、内藤師がおっしゃるのは、肩の力を抜いて、福音を語りつつ、周囲の人たちに愛の心で接していくことだというのです。きわめて日常的な営みの中で信仰を喜ぶ生活をしていきなさい、ということでしょう。


◆次の礼拝のご案内◆

2016年02月10日

2016年2月14日(日)10時30分   
 説教『偉くなりたい!?』
   聖書 ルカ22:24–30

※教会の暦では2月10日が「灰の水曜日」です。中世からはじまった教会の特別な日です。前年に使った棕櫚の葉を残して置き、この日に金属のお皿の上や礼拝堂入口の道端で、その葉を焼き、聖餐式の際に、聖職者が恵みの座にひざまずく信者の額に、その灰をで十字の印をつけてあげるのです。
熱心な方たちは、一日主のお苦しみを覚えて、その額の十字架を大切にしたそうです。
その日から日曜日(=復活の喜びに日)を除いて40日目が復活祭となるのです。今年は3月27日がイースターです。


2-7 <九段の丘>

2016年02月06日

 ていねい?な言葉づかい
「では会を終わるにあたりまして、○○さんにお祈りをしていただきます」「では、ご指名いただきましたので、(僭越ながら)祈らさせていただきます」
以上のやり取りはおかしい。第一、<ご指名をいただきましたので>と断りはくどい。第二に、持って回ったような言い方はいらない。謙遜語、謙譲語も度が過ぎるとおかしい。余計な表現を付け加えるのは、自意識過剰だし、自信のなさの表れでもある。指名を受けたら、「(では)祈ります」でよろしい。舌を噛むような言い回しは一切不要だ。

教会の会合において、牧師同士がお互いを「先生」呼ばわりするのもおかしい。正式の場であるならば、▽▽教師、▽▽牧師と呼べばよい。「▽▽先生」という呼び方は、カジュアルな呼称として教会内にあるので、全廃するのは難しいのかもしれない。「△△牧師先生」はくどい。「○○牧師、お願いします」で十分。

大先輩の牧師が、駆け出しの新米伝道師や牧師を捕まえて「○○先生」は滑稽でしょう。対面の時は、「○○さん」「○○くん」で十分だ。大先輩に○○先生と呼ばれる方の、新米教師は、こそばゆい気持ちになるだろう。支区の按手礼式において按手を受けたばかりの、牧師に、司式者が「では最後の祝祷は、○○先生にお願いします」はないだろう、折角晴れて伝道師から聖礼典も執行できる一人前の牧師になったのだから「○○牧師に・・・・」。

尚、教会の会議では、お互いを「□□議員」あるいは「□□さん」と呼べばよろしい。この場合は、教職も信徒もない。同じ会議の構成員であるから。会議の中では、▽▽議長、□□議員、○○委員、△△委員長と呼べばよろしい。