九段教会コラム

このコーナーでは、教会からのコラムや行事等についての記事を投稿します。(不定期更新)


3-27 <九段の丘>

2016年03月28日

 わたしのために

 「あなたの先祖がエジプトでファラオの家に服従していたとき、わたしは自らをあなたの先祖に明らかに示し、わたしのためにイスラエルの全部族の中からあなたの先祖を選んで祭司とし、わたしの祭壇に上って香をたかせ、エフォドを着せてわたしの前に立たせた。」(サムエル記上2章27b–28a)

  わたしたちの信仰、教会生活、礼拝について思いめぐらしていた時に、神さまから直接示された御言葉が、上記のものです。わたしにはこの中に、大切な部分があることが分かりました。それまでともすると、自分中心に考えがちなところがあり、考えがまとまりませんでした。わたしが、自分中心に人生の意味を考えても、答えは与えられません。ところが思い切って神さま中心に考え直した時、それまで見えなかったものが見えるようになったのです。
  この聖書の記事は、預言者サムエルの師匠の祭司エリ先生への、神さまの語りかけの一部です。神の人はエリにこう強調しているのです。<イスラエルの民を救い導こうとされた神さまは、人々の思惑を超えて、ご自分を啓示なさいました。そしてご自分のために全てを整え、選びの民の中の更にひとつの部族を祭司として選んだ上に、特別の使命をお与えになった>と、語り掛けているのです。
  エリの家族が幸せに生きるためには、自分勝手に生きるのではなく、あくまでも神中心に、神さまの御心を第一に生きることこそが重要であることを示しました。わたしたちが、それぞれに人生の意義を深く考えていくときにも、実はこの姿勢が勧められるのです。


2016年03月24日

  


◆次の礼拝のご案内◆

2016年03月24日

2016年3月27日(日)10時30分   
       説教『よみがえりと勝利』
        聖書 第一コリント15:1~11

 ※待ちに待った復活祭です。
「復活」とはだれにとっても希望の言葉です。
ダメだった者、失格だった者に、もう一度チャンスが与えられるということですね。素晴らしい。
神さまは、ダメな私たちにもう一度、生きるチャンスを与え、活躍する場を提供してくださった。

※※共に集まり、神さまに感謝しましょう。そして、喜びを分かち合いましょう。

「すべての人が、招かれています」あなたも、その一人です     


3-20 <九段の丘>

2016年03月19日

                                  イースターという言葉

   英語のイースター(Easter)の語源について。
   古代の英語ではeastreであって、「春」を意味します。ゲルマン語ではaustre(インド・ヨーロッパ語でawesつまり「輝く」)である。
   古代ゲルマン民族の間で春分の日に行われる春の女神エオストラ(Eoster)を祭る行事と関係があると言われています。この女神は暁の女神でもあり、ローマ神話のアウローラ(Aurora)に相当します。これはオーロラと語源が同じです。
   後にゲルマン民族にキリスト教が普及するに伴って、復活日の時期がほぼ同じころであったため、その訳語として用いられたのが、イースターということばの語源であると言われています。

   キリストの復活が暁の女神以上に、決定的な曙光をもたらすという意味でこのイースターという言葉は定着して用いられてきました。
   尚、「東」を意味するイーストも同根の語です。夜明け光りアウストラは東からさしそめるからそのように言うのです。ちなみにオーストリアは他のヨーロッパの国々からみて「東に位置する国」という意味になります。

   歴史宗教であるキリスト教は、キリスト以前も、さまざまな宗教、神話、伝説、風俗習慣とかかわりながら成長発展し、今日に至ったことがわかります。
 今年は3月20日が『棕櫚の聖日』です。この日からはじまる一週間が『受難週』で、キリスト教の信仰にとって最も重要な期間といえます。


◆次の礼拝のご案内◆

2016年03月09日

2016年3月13日(日)10時30分   
                   説教『二つの裏切り』
                   聖書 ルカ22:54–62
※イスカリオテのユダだけが、裏切り者であり、福音書の悪役ではありませんでした。シモン・ペトロも同じようにイエスさまを裏切っています。その裏切りの方が、もしかすると赦しがたいものであったのかもしれません。ユダとペトロ—-この二人は、どこでどのようにして違ってしまったのでしょうか?