九段教会コラム

このコーナーでは、教会からのコラムや行事等についての記事を投稿します。(不定期更新)


5-29<九段の丘>

2016年05月29日

   主を求めるなら
「彼(ウジヤ王)は、父アマツヤが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った。神を畏れ敬うことを諭した預言者ゼカルヤが生きている間、彼も主を求めるように努めた。彼が主を求めている間、神は彼を繁栄させられた」(歴代誌下26:4~5)
 3代目のソロモン王が死ぬと、王国は北と南に分裂し、それぞれの国の王たちは、実にコロコロと変わりました。しかもすべての王がダビデのように信仰的ではありませんでした。神ならぬ神を拝むバール礼拝にも心許し、その信仰に全く一貫性はなく、まちまちでした。父王が神に一方的に逆らっているかと思うと、その子供は大変信仰的であったり、またその逆であったりしました。
 ここにウジヤの例を取り上げます。聖書からの引用です。「彼が主を求めている間、神は彼を繁栄させられた」とあります。ウジヤが信仰的に生きようと決心し、その一歩を踏み出す時、神さまは直ちにその姿勢を評価して祝福されたのです。
 どういうことでしょうか。わたしたち人間は所詮罪深く、完全ではない。そのことをいちばんよく知っておられるのが、わたしたちを創造された神さまご自身であられます。ですから、神さまはわたしたちの人間の不完全さを責められません。ダメなものはダメなのですから。期待できません。それにも関わらず、神さまはわたしたちの姿勢を問題にされるのでしょう。
 わたしたちもダメな者です。でもダメはダメなりに、憐みの主にすがって生きていくなら、神さまは祝福してくださるのです。素晴らしい!

5-22<九段の丘>

2016年05月21日

  神の家にふさわしい人になろう
 「主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り、聖なる山に住むことができるのでしょうか。それは、完全な道を歩き、正しいことを行う人。心には真実の言葉があり、舌には中傷を持たない人。友に災いをもたらさず、親しい人を嘲らない人。主の日にかなわないものは退け、主を畏れる人を尊び、悪事をしないとの誓いを守る人。金を貸しても利息を取らず、賄賂をうけて無実の人を陥れたりしない人。 これらのことを守る人は、とこしえに揺らぐことはないでしょう。」(詩編15)
 神殿に到着した巡礼は神の家に入る資格を問う。それに内側にいる祭司が答える。細かく10の戒めが示される。内容は特別難しい事ではない。むしろ日常的、倫理的な命令だ。神さまへの服従は、具体的に隣人への配慮によって示されるのだ。
「完全な道を歩く人」「正しいことを行う人」「心には真実の言葉がある人」「舌には中傷を持たない人」「友に災いをもたらさない人」「親しい人を嘲らない人」「主の日にかなわないものは退け、主を畏れる人を尊ぶ人」「悪事をしないとの誓いを守る人」「金を貸しても利息を取らない人」「賄賂をうけて無実の人を陥れたりしない人」
示されているのは、隣人に対する配慮であり、いたわりであり、愛である。
 この詩編は「これらのことを守る人は、とこしえに揺らぐことはないでしょう」と結んでいる。マタイ7:24-27には、聞きっぱなしではなく。聞いて行うことの重要性が説かれている。 しっかりとした信仰的土台の上にこそ神さまの報いがあることを知るべきだ。

5-15<九段の丘>

2016年05月16日

                             ペンテコステ信仰の精神 
 「『主の名を呼び求める者はだれでもすくわれる』のです。 ところで、
信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。
聞いたことのない方を、どうして信じられよう。 また、
宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。
遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。
・・・・・『良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか』と書いてあるとおりです。」(ローマ10:13-15)
 この世に、教会がなかったら、わたしたちは主の福音に与ることができなかったことでしょう。過去から今日まで、実に多くの教会とそこから遣わされた命がけの信仰者たちのおかげで、わたしたちはイエスさまの救いに与ることができるようになりました。このことを、当たり前のことと思ってはなりません。まったくの奇跡的な恵みなのです。
 教会があってこその、後の世の教会であり、わたしたちの信仰でもあるのです。使徒パウロはそのことを意図して、ローマ教会に上記のように書き送ったのです。
  わたしたちは主イエスキリストに属する者です。そのわたしたちの教会が今日脅かされています。教会においては年齢は関係ありません。老若男女ではなく救いを求める魂の数こそ重要です。
  「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名による洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世のおわりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:19~20)


◆次の礼拝のご案内◆

2016年05月09日

                               2016年5月15日(日)10時30分   
                  聖霊降臨祭(ペンテコステ)
                      説教『聖霊に満たされよ』
                         聖書 ルカ9:21~27

※クリスマスのことを降誕祭、イースターのことを復活祭、ペンテコステのことを聖霊降臨祭と言います。キリスト教の3大祝祭日です。イエスキリストが誕生しなければ、救い主はこの世に来ませんでした。そのイエスさまが十字架にかかり復活しなければわたしたちに祝福と勝利がもたらされませんでした。そして、ペンテコステがなければ、神さまの聖霊はこの世にもたらされず、教会は誕生しませんでした。
3つとも極めて大切なものです。来る15日は教会の誕生日でもあります。
            ハピー・バースデイ to 教会!


5-8<九段の丘>

2016年05月09日

信仰偉人伝の勧め
  礼拝堂の3階部分に、3か所に本棚があります。一つは、祈祷室で、そこにはわずかしか置いてありません。バルコニーの後ろにある書庫には、様々な資材、資料、各教会から送られた記念誌、教会史などのほかにも雑本に紛れて、結構興味深い書籍もあります。歴史を刻んだものも散見できます。さらに、小集会室(=母子室)。赤ちゃん連れの方にはガラス越しに礼拝に参加できる空間です。印刷機がおいてあるのは、会堂の中で一番乾燥している場所だからです。この一角の本棚には、シリーズものや絵本、童話があります。一般向けと、やはり教会ならではのものもあります。
 宮沢賢治全集、灰谷健次郎の本シリーズなどと共に、少年少女信仰偉人伝があります。60巻もあるという事は、日本のみならず世界の信仰の先人たちを60人集めているという事です。信仰は理屈ではありません。生き方です。その点、信仰に生きた偉人たちのそれぞれの生き様を、わかりやすくのぞかせていただくのは素晴らしいことです。特に、少年少女のために著者たちが心を砕いて書いています。これらは宝です。
 貸し出しなどに特別のルールはありません。気楽にその60冊のなかから借りて読んでみたらどうでしょう。ここに収められている先達は、みなある意味個性的な方ばかりです。生前にはその熱心さゆえに誤解された方々も多かったようです。ジョン・ウエスレ―然り、ビリー・グラハム然りです。中には、命がけでキリストを証しした方もいました。わたしたちが知らない人、あるいは名前だけ知っているような方たちのことも知る機会になるのでは?