九段教会コラム

このコーナーでは、教会からのコラムや行事等についての記事を投稿します。(不定期更新)


6-26<九段の丘>

2016年06月25日

                                             言 葉
   「ぼくは、               ぼくは 
   神学校へ行って            母の涙ながらの励ましを 
   牧師になると言ったら         今もおぼえている
   みんなあざけりののしった        (河野進詩集『母』より)
   母は 
   涙を流しながら一言いった      
   『これだけ反対されるのですから 
       生涯やり通しなさいよ』
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 一言が人を生かすことも、殺すこともあります。喜ばせることもあれば、悲しませることもあります。でも、わたしたちの日常生活において、言葉のトラブルは絶えません。悲しいほどです。聖書は言います。「しかし、舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています」(ヤコブ3:8)
 なぜ?人間の本性を不完全とみるからです。愛し合う者同士の傷つけ合いは、そのことを更によく示しています。本当に、神を愛し、神の愛に生かされた者だけが、人を生かす言葉を使うことができるのです。人を生かす言葉を話したい。

6-19<九段の丘>

2016年06月18日

                                                         政治家へ
 「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。木は、それぞれ、その実によってわかる。茨からイチジクは採れないし、野ばらからぶどうは集められない。・・・人の口は、心からあふれ出ることを語るのである」(ルカ6:43-45)
 国政選挙を迎えます。政治家たちは、みな立派なことを宣伝してまわっています。しかし、政治家は、自分の言葉に責任を持つべきです。わたしたちは、彼らの立派な言葉に幻惑されてはなりません。むしろ彼らの言葉に厳しい目を向け、判断しなければなりません。決して宣伝文句に踊らされてはなりません。
 自分の宗教的信念をそのまま政治の世界に反映しようとする試みは悪いことではありません。が、絶対的な自分の信仰・信条を相対的な妥協が求められる社会・政治の世界に持ち込む事には、無理が伴います。たとえそれがどんなに素晴らし教えであってもです。その意味では、歴史的に見て、宗教と政治が結びついて、成功した例はありません。
 では、政治家に宗教・信仰は不必要かといえば、そうではないのです。民の上に立ち国を導いていく人には、宗教的謙遜を身につけていただかなければなりません。
 「宗教家は、時としてきわめて政治的にならなければならない。同様に、政治家は、時としてきわめて宗教的にならなければならない」これが、わたしの信条です。現実の生活の中でこの姿勢を貫くことが必要です。大変難しいことです。しかし、国民の命と生活を守り、導く者としては、このくらいの上等な心掛けが必要でしょう。

6-12<九段の丘>

2016年06月13日

 喜べ、祈れ、感謝せよ!
 真剣に、まじめに生きようとするのが、わたしたちほとんどの望みです。にもかかわらず、喜べない、祈れない、感謝できない状況に囲まれているのもわたしたちの日常生活のように思います。聖書は何と言っているのでしょう。

「いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。どんなことでも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。<霊>の火をけしてはいけません。預言を軽んじてはいけません。すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆるわるいものから遠ざかりなさい。」(第一テサロニケ5:16-22)

 聖書の大切さは、しっかりと聞いて、それを行うことにあります。聞きっぱなしはダメです。聞かないで自分勝手によかれと思うことを行うことも効果がありません。神さまがわたしたちに望むことを為すことです。きのう神さまが望まれることが、きょうも望まれることととは限りません。目まぐるしく変わる日々の生活の中で、わたしにとって最善を神さまは常にお示しくださいます。そして、わたしをしっかりと導いてくださるのですから、わたしたちは安心です。
 ですから、わたしたちは全幅の信頼を神さまにおく生き方ができるのです。足腰強く確かな生活をおくることができるのです。キリスト者は、そういう者たちですし、教会はそう願う者たちの集いです。弱くてもいい、過去に失敗した人、今苦しんでいる人、だらしのない人でもいい。でもキリストに救われたいと願っているなら、どなたでも礼拝に出席する資格があります。あなたが救われることが、天の父なる神さまの喜びなのですから。

◆次の礼拝のご案内◆

2016年06月10日

        2016年6月12日(日)10時30分   
        三位一体後第3主日
     説教『神のために生きなさい』
      聖書 エフェソ6:1~18
   メッセンジャー:髙田和彦
※「現状維持」を主張する人がいます。難しい注文です。少しでも成長しようと努力しても、いろいろな要素でマイナス要因が働きます。結果、現状維持になる場合はあるでしょう。けれど。今を肯定し何もしないで身を委ねていたら、気が付いたら衰退の道を辿ることになるのです。
※※熱心な信仰者はいらない。健全健康な信者は大歓迎だ。
熱心さは一時的だから、でも生き生きと今を楽しむならば、続くでしょう!

6-5<九段の丘> 

2016年06月04日

                            最高のマンネリ
 「ロングラン上演となったミュージカル『ショーガール』の楽屋に来てくれたときに、『マンネリほど最高なものはないんだよ』と言ってくれたのが心に残っています。」
 そうコメントしたのは、木の実ナナさん。映画「ふうてんの寅さん」シリーズの第21作目にマドンナで共演した。「寅さん」こと渥美清さんが亡くなって、すでに19年になります。
 四半世紀にわたって「寅さん」を演じ続けた人の言葉だけに重い。あまりにも慌ただしく、新しさを求め続け、新しさえすればイイような価値観の中で、じっくりと一つのものに取り組み続ける男のこだわりを感じます。
 神学博士であって、ご自分の教会で毎週講壇に立たれた熊野義孝師の説教のことを<金太郎あめ>のようだと評した人がいました。出席者は、途中どこで居眠りをしても、途中で目を覚ますと、ちゃんと説教の内容が分かったといいます。偉大なマンネリ!それでも信者たちは礼拝に出席し続けたのですからスゴイ。
 同じことを続けることに対する抵抗というものがあります。コンナコトヲシテイテ、イイノダロウカ?自分ニハ外ニモットスルコトガアルノデハナイカ?子育てに追われる母親、何十年も親からの老舗の店を守り続ける人、タクシーやバスの運転手、などなど。
 毎朝、聖書を読み、お祈りをすることを、主イエスさまはわたしたちに求めていらっしゃいます。日曜日朝ごとに、教会に出席することは、マンネリです。いつもおもしろく刺激的とは限らないでしょう。しかし、それが神につながる偉大な<最高のマンネリ>なのです。