九段教会コラム

このコーナーでは、教会からのコラムや行事等についての記事を投稿します。(不定期更新)


7-31<九段の丘>

2016年07月30日

                                                ワインを飲むと
 箱舟を出たノアは農業をはじめる。以前はノアは農機具製造で忙しかった。その技術で、彼は箱舟を造ることができた。しかし洪水後は、製品を売ろうにも、自分たち一家だけしか人間がいないからビジネスは成立しない。そこで自ら土地を開墾し畑をつくった。ノアはとりわけブドウが好きであった。
 ユダヤの伝説では、ノアがブドウ畑で働いているとサタンがやってきた。
「ノアさん、何をつくっているんですか」
「ブドウをつくっているんだよ。いずれ美味しいワインを飲もうと思ってね」
「じゃ、わたしも手伝いますから、仲間に加えてください」
 ところが、ある夜、サタンはそのブドウ畑にこっそりやって来て、まず羊を殺し、羊の血を畑の中に混ぜた。次にライオンを殺して、ライオンの血を畑に混ぜた。その次に猿を殺して、猿の血を畑に混ぜた。最後に豚を殺して、その血を畑に混ぜた。
 やがてブドウは収穫され、おいしいワインができた。
 ノアはワインを飲んだ。最初は気持ちよく、羊のようにおとなしかった。だんだん酔いがまわってくると、今度はライオンのように居丈高になって大声で吼えはじめた。そのうち、さらに愉快になって猿のように踊りはじめたが、最後には酔いつぶれて、豚のようにうずくまって寝込んでしまった。
 これ以来、ノアに限らず、ワインを飲むとだれでもこういうことを経験するようになった

7-24<九段の丘>

2016年07月25日

                                            掃除機の小石
 掃除機の具合がなんとなく気になり、あちこち調べてみて、びっくりしました。直径2センチほどの小石が、本体入口のところをふさいでいました。その石を取り除き、スイッチを入れてみますと、快適な音がしました。吸い込みも、以前より良いようです。

 この小さな出来事に、わたしは考えさせられてしまいました。タバコをかなり吸う人が、何かのきっかけで止めるならば、深呼吸して考えられないほどの、新鮮な空気を楽しむことができるだろう。本当はこんなに空気がおいしかったんだ、食事はこんなに味わい深いものだ、などと思うのではないだろうか。

 現に、わたしが掃除機を調べるまでは、それが正常だと思って、それで掃除もし、その音が当たり前とおもっていた。同じように、人生には当たり前と思っていたことが、実は当たり前でないことが多くあるに違いない。
 心や魂の問題の場合、今の生き方が自分のすべてであるように思いこんでいる人が多いはずだ。けれども、当たり前と思っていたら、掃除機に詰まっていた小石のように、取り除くべきものがあるなら、それを取り除く勇気が欲しい。

7-17<九段の丘>

2016年07月16日

                                        話し上手
 「世間に名前を売る近道は、おしゃべりすることではなく、誰の言うことでも耳を傾けて聞くことだ。あなたがある人に向かってどんなにおもしろくためになる話をしてみたところで、その相手が自分自身のことについてあなたに話したいと思い詰めている事柄に比べると、その半分の興味ももたせることはできない。あなたが、魅力のある、そして好感のもてる人だという評判を得ようと思うならば、『あなたの話はすばらしくおもしろい話です。もっと聞かせてください』と相手に言うことが必要だ」(コラムニストのドロシー・デイックスの言葉)
 あなたが、もし座談の名人になりたいと願うならば、おもしろい話を用意するのではなく、聞き上手・質問上手になるという一点に努力を集中すべきでしょう。その利点は、決して人を苦しめたり、悲しませたり、敵に回したりすることはないのです。
 こんにちのわたしたちの生活を見回すと、逆の現象ばかりが目につきます。自己主張ばかりが横行し、静かに相手の言うところを聞こうとしません。学校などにおいては、議論の訓練がなされていないので、肝心な時には、しっかりと自分の意見も言えないのです。
 相手の主張に十分耳を傾けてからでも、自分の考えを明らかにできるのだということも、知っておきたいものです。

7-10<九段の丘>

2016年07月14日

                                                         信仰生活の基礎
 「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:19-20)
 教会においては、主イエスさまのご命令が絶対です。そこにこそ,わたしたち、キリスト教会に属する者たちの一致点を求めるべきです。それに加えることも、引くこともあってはなりません。
 現実にはどうでしょうか?いつの間にか人間的好みや思惑が優先してはいないでしょうか。巧妙な形で、まことらしい信仰的オブラートに包んで、自分たちの思惑を反映させようとしてはいないでしょうか。
 国政選挙も同じです。むずかしく考えることはないのです。政治家が、政党が、前回公約したことを誠実に守ったかどうかを見ればいいのです。誰の主張だから正しいとか、間違っているとかいう、偏った見方をすることもないのです。すべては、イエスさまの基準に照らして良し悪しを判断し、その度ごとに是を是とし、非を非とすればいいのです。
 大切なのは、主のご命令に従って心を合わせ、一歩でも半歩でも前進することです。教会も、国家も。

7-3<九段の丘>

2016年07月03日

  箴 言
 「正しい人の祝福によって町は興り、神に逆らう者の口によって町は滅びる。
心ない者は友人を侮る。英知ある人は沈黙を守る。
悪口を言い歩く者は秘密をもらす。誠実な人は事を秘めおく。
指導しなければ民は滅びるが、参議が多ければ救われる。」
(箴言11:11–14)
 どうしたら教会が祝福されるのだろうか。根本的な何かが、見失われているように思えてならない。
 <普通の、ありきたりの>教会生活、信仰生活の重要さを思う。つまり、特別に何かをやらなくても、誠実に神さまに聞き従う、日々の当たり前の生活を続けていくことができれば、それなりの祝福がついて来るはずである。
 
   家族や友人の中でも、あたりまえに信仰者として生きていくなら、それこそが<証しの生活>になる筈だし、周りによい信仰の香りを放つ。ならば、それを良かれと思う、周囲の者たちが、黙ってはいまい。美しいキリスト者の生活に魅せられ、自らも信仰にあやかりたいと思うようになるだろう。
 上記の箴言はキビシイ。わたしたちが信仰者とは言いながら、<神に逆らい、友人を侮り、悪口を言い歩き、つまずきを与えて>はいないか?「反省しましょ!」と言ったら、「わたしゃは反省したくありません!悔い改めたくありません」という答えが返ってきた。
 ・・・ああ、何ということだ、そのような町(=教会)なら滅びて当然だ!