九段教会コラム

このコーナーでは、教会からのコラムや行事等についての記事を投稿します。(不定期更新)


4-30<九段の丘>

2017年04月30日

          2017年度のビジョン、ミッション
 2017年度の教会標語と根拠になる聖書箇所が、総会においてようやく決まりました。ここにまとめます。標語は『ビジョンとミッションを明確にし実行しよう』。御言葉はフィリピ3:13-14からです。「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞をえるために、目標を目指してひたすら走ることです」
 大切なのは標語倒れにならないことです。掲げた標語に積極的に取り組み、実質化することです。口先だけでお題目をとなえるのは意味がありません。生活がそのように導かれていくことが重要です。
 ビジョンとは何でしょう?幻とか夢と訳せることばです。聖書には<幻なき民は滅びる>とあります。実際の生活がすべてのように思われるけれども、未来に対してどれだけの夢や幻をもっているかが、その人々の価値が決めるという事です。
 悲惨な現実にあっても幻を忘れない人々が、最後には勝利するということでしょう。
 使徒パウロの信仰の素晴らしさは、そこにあった。彼の言葉には未来がありました。だから牢獄から人々に喜びを発信できたのです。希望を失うことなく。逆を考えておくべきです。どんなに素晴らしい現在があっても、そこに安住するならばその人々、団体、教会は滅びの第一歩を踏み出しているのです。
 意見が違ってもいいのです。お互い信ずるところを言い合いながらも、ビジョンを掲げ、与えらえたミッションに生きることです。


4-23<九段の丘> 

2017年04月22日

                                         魅力ある教会の誕生
 もともと起業家精神にあふれた天性の指導者だったビルは、一軒一軒をノックして回った。数か月間、週6日、一日8時間、ドアをノックし続けて、たった一つの問を投げかけた。「教会には行っていらっしゃいますか?」答が「イエス」なら、お礼を言って、次の扉をノックした。「ノー」なら、重ねて聞いた。「恐れ入りますが、行かれない理由をおうかがいしてもよろしいでしょうか?」
 大半の答えは「ノー」であって、そのうち7割ほどは教会への苦言だったという。ビルは人々の反応を整理した。2つのポイントが浮かび上がった。第一は、何かというと献金を要求されたということ。第二が、メッセージが退屈で決まり切っていて、まったく面白みがなく、「自分の生活に関係がない」ことだった。
 苦情をいう人たちに、ビルは聞いた。「献金ばかり言わずに、みなさんに関わりがあって、独創的で刺激に満ち、実践的で真実味のある話をする教会が近くにあったら、行ってみようかという気になりますか?」。多くは「イエス」と答えた。
              (ボブ・ビュフォード『ドラッカーと私』NTT出版 p.100より)
 これ以上、詳しく髙田は引用もコメントもしません。関心のある方は、いろいろ調べてみてください。


4-16<九段の丘>

2017年04月21日

キリストの復活だ
 イエス・キリストの生涯は、最後の最後での大逆転で終わる。ある人々は今日でも、イエスキリストは「負け犬」だったと主張する。だから、そのほかの部分は受け入れるが、あの十字架の無残な姿だけはいただけない、と言う。果たしてそうか?
 野球でいう、9回の裏、アウト2つ。そこからのドラマチックな逆転劇がはじまる。それがキリストの復活でしょう。人間的にどう考えても不可能な状況の中で、神さまだけが、それを可能にしてくださる。それが、キリストの復活に込められている。
 自分たちが信頼していた先生を十字架にかけて殺してしまった、呪わしいエルサレムから失望し、逃げていく二人の弟子たちにお会いし一緒に食事をしたのが、復活のキリスト。そして、その出会いの場がエマオという村だったと言われる。
 毎主日は礼拝の時、毎回真剣に礼拝を通して、あなたもわたしも、復活の主におめにかかります。


4-9<九段の丘>

2017年04月08日

十字架と復活
 商魂たくましい筋では、バレンタインの次は、イースターをターゲットにしているようです。デイズニーランドは特別パレードが年間行事に入ってきているようです。イエスさまは天上で苦笑いでしょうか?<春分の後の、満月の後の日曜日>が今年は4月の16日で、この日が復活祭になります。
 その1週間前の主日が<棕梠の主日>と言って、今日がイエスさまがロバに乗ってエルサレム入城なさった日で、この日から受難週がはじまります。歓迎した人々は手のひらを返したように主を見限り、最後には死刑にすることに賛成する。
 木曜日には最後の晩餐の席で弟子たちの足を洗い、正規の手続きを踏むことなく、死刑判決は下され、金曜日には十字架にかけられてしまわれる。なんとも理不尽な。その理不尽さをわたしたちは心の内に持っているのでしょう。
 十字架刑は、ローマの最も残酷な処刑方法のひとつで、あまり残酷なのでローマ市民には用いられなかったと聞きます。執行にあたり罪状書きには「ユダヤ人の王」としるされました。ユダヤ教指導者たちは、イエスを政治的メシアとして、反ローマの政治的な活動家としてでっち上げて、ローマ当局に告発したのです。
 しかし、すべては父なる神さまの人類救済の大きなご計画の内にあったのです。


◆次の礼拝のご案内◆

2017年04月07日

        2017年4月9日(日)10時30分   
     棕櫚の主日受難節第6主日
     説教『エルサレム入城』
      聖書 マタイ21:1~17
    メッセンジャー:髙田和彦
     奏楽:橋本美穂
※主イエスさまは、ついに意を決してエルサレム入城なさいました。御自分の存在を世にあかしし、それは十字架の贖いの死を意味いたしました。