九段教会コラム

このコーナーでは、教会からのコラムや行事等についての記事を投稿します。(不定期更新)


8-27<九段の丘> 

2017年08月26日

                                                  理想に近づく
 かつてプロ野球で「安打製造機」の異名をとった打撃の名手、張本勲氏のところに、若手選手が相談に来た。
 「張本さん、理想のバッテイング・フォームについて、教えていただきたいのですが。」
 この質問に対して、張本氏は、こう答えた。
 「理想のバッテイグフォーム?
  もし、君がそれを知りたいならば、 一晩中、素振りをしなさい 
 一晩中、素振りを続けて、 疲れ果てたときに出てくるフォーム、
 それが、君にとって一番無理のない  理想のフォームだよ。」
 このエピソードは、大切なことを教えてくれる。
 われわれは、いつも、成功するための普遍的な方法があると思い、その理想的な方法を、安易に身につけたいと考えてしまう。(『フォーブス』No.39 2017.10 p.21のH.T氏の記事より) が、果たして、そんな調子のいい方法で 理想が身に着けられるものだろうか。
  * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 
 ふとこんなことを考えた。聖書の通読は、野球の素振りのようなもの。ともかく理屈を言う前に、聖書を読み続ける。分かっても分からなくても読み続ける。理屈を云々は、そのずっと後。急がば回れ。
 自分から聖書に問いかけるのはずっと経ってから。どんな謙虚そうな質問でも結局自己主張でしかない。読んで、読んで、読み続けることによって、やがて神さまが聖書のみ言葉をもってあなたに語りかけてくるまでになろう。


8-20<九段の丘>

2017年08月19日

                                    雲の柱、火の柱
    —海や陸の水蒸気から生まれた雲は、やがて雨や雪となって地表に戻り、地球上の水循環を支えるほか、「昼は日傘のように太陽光を遮って地球の表面が高温になるのを防ぎ、夜は布団のように地表面が低温になるのを防ぐことで、太陽がもたらす熱のバランスを保っている」という。
以上はビッグイッシュー314号(2017.7.1)の特集『夏、雲をつかめ』の
雲研究者の荒木健太郎さんが語った一部です。

   以前、神学校の旧約学の教授にした質問は以下の通りです。—出エジプトの逃避行で、イスラエルを守り導いた雲の柱、火の柱はただの目印以上のものではなかったか。つまり、日中、太陽が照り付けるときには、日陰の役割を果たし、夜は人々を寒さから守るような電気コタツのヒーターのような役割はなかったのか?
   「そんなものは全く考えられない」というのがその学者の解答で、それ以上わたしのロマンチックな解釈を語ることはできなかった。
   確かに、字ずら的にはそうなのだろう。だが、そこに信仰的な解釈を加えるならば、わたしの期待に応えるものとならないか?別の箇所にはしかしながら、先ず幕屋の入り口に雲の柱が現れてのち、主その中に降り、モーセたちに親しく語りかけられている(民数12:5)。
   主はときに<雲の柱・火の柱のなかに臨在し>親しく民に接してくださったことを考えるのは、それほど無理なことではないだろう。そしてその中にわたしの希望的観察も含まれてもいいのではないか。


九段教会

2017年08月17日

 

 

モダンジャズコンサート

2017820日(日)14時~16

出演:高田光比古BAND

細川正道   (ベース)

小林鈴勘   (尺八・ギター)

サミー・田中 (ピアノ)

高田光比古  (ドラムス)

 

<入場無料>


8-6<九段の丘>

2017年08月15日

                                         何もしない
 夏休みです。家族と友達と、海へ、山へ。海外旅行?   ・・・・うらやましいですね。どうかご自分で、オリジナル・プランをたててみてください。パック旅行、お仕着せ旅行も無責任で気楽ですが、あまり思い出に残るものではありません。それよりも、行った先で「何もしない」豊かな時を持つことは、得難い命の洗濯になります。
 もう48年ほど昔のことになります。留学中、ひと夏テキサス州のヒューストンから北北東120kmにあるリビングストン国立公園にある教会キャンプのリーダーとして働いたことがありました。ひと夏で、一回10日間のキャンプを3回こなしました。男女1組のリーダーが、最大5名の男の子と5名の女の子と「家族」を形成するのです。大体中学生の子供たちで、人種はさまざまでした。わたしたちはそれを「生活キャンプ」と呼びました。2~3日で終わってしまうプログラム・キャンプとは、全く質の違いを感じました。時間はたっぷりありました。
 外部からなにも要求されません。何をしなくてもいいのです。しかし、何もしないことの難しさを味わうことになりました。そこに、このキャンプの狙いもありました。都会の子供たちにとっては貴重な体験でした。今なら、スマホやテレビのない生活です。初日には、スケジュール表が与えられましたが、そこには何も書いてありません。全部自分たちで相談して決めるのです。森林の中のキャンプサイトですが、わたしたち12人以外、木立の向こうから声は聞こえてきますが、姿は見えません。トイレや食堂は全体のキャンプ場の中央に位置しています。
 文明から解放されるのです。生の人間同士がお互いを見つめ直すので、すばらしい発見も可能です。「家族」内では、時にトラブルがありました。こういうプロセスがありました。はじめ表面的な交わりから入ります、・・・争い・・・いがみ合い・・・悩み・・・話し合い・・・和解・・・内面的な交わり=真の友情の確立へ。以上の体験ができたのも10日もあったからでしょう。ひと夏、3回も別の「家族」を経験し、わたし自身も随分と勉強になりました。「なにもしない」人間性を回復するキャンプでした。


7-19<九段の丘>

2017年08月15日

                                          夏期伝道実習

 夏は、神学校に学ぶ者にとっては、特別な時間を過ごすときです。時間の使い方によって、その後のことがすべて決まると言ってもよいほどです。わたしの場合ははみ出し者で、在学中6回ある夏休みの半分は海外に出ていた。じっくり腰を据えて勉強する時間もなかった。5年目が夏期伝道実習で、卒業年度は修士論文作成で終わった。
 ところで近年では、神学校卒業までに2回夏期伝道実習をしなければならないと聞く。かなり厳しい条件だ。
 どこかの教会に派遣され、約1か月、その教会(信仰共同体)に溶け込んで、伝道者としての生活に徹する。右も左も分からないなりに、できる限り奉仕する。伝道者のいない地方の小さな群れに遣わされる場合は、全部任される場合が多く、それだけ信者の方々に歓迎される。
 都市型の大きな教会に遣わされると、自ら率先して仕事を見つける場合と、全部がマニュアル化されていて、なすべき奉仕がびっしり与えられる場合がある。
 当教会の神学生は、来週の23日から、来月の20日まで、約1か月を当教会を実習の場として選び、奉仕することとなった。期間中5回のうち3回の礼拝奉仕をすることとその他のできる限りの奉仕をすることとなる。教会員の方々のお支えとお祈りをお願いします。