5月3日 主日礼拝メッセージ

ヨハネによる福音書21章1-19節(要約)『わたしを愛してるか』
イエス様は、一度救って下さった人に対して、最後まで救いを全うさせてくださいます。復活の主は、ガリラヤ湖畔で弟子たちと会うために、朝食を準備して下さいました。その弟子たちは、前日からガリラヤ湖へ出かけて行き一晩中漁をします。しかし、一匹も捕れませんでした。あきらめかけて帰ろうとしたその時に、岸辺から主が「舟の右側に網を打ちなさい」と声を掛けられました。すると大量の魚153匹が捕れたのです。にわかに信じられない話かも知れません。けれども、それは事実なのです。岸辺には復活の主イエスが既に魚とパンを焼いておられ、お腹を空かした皆の朝食を用意して下さっていたのです。これらのことは、実は、象徴的な意味があります。私たちがどんなに朝早くから夜遅くまで身を粉にして働いたとしても、自分が立てた目標を達成することが難しいということです。実は、生ける主を抜きにして人間の知恵や力だけでは敵わないことがあるということです。主の言葉に従う時に素晴らしい成果が挙がり、しかも魚の網が裂けなかったようにうまく行くということです。食事の後、主は、弟子のぺテロにこう言われました。「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と。しかし、ぺテロにとってこの問いは、あの日の悲しい思い出と無関係に聞くことが出来なかったのです。主が「わたしの行くところに、あなたは今ついてくることが出来ない」と言うと、ぺテロは「あなたのためなら命を捨てます」と言いながらもその日の夜に、三度も「主を知らない」と言って否んだあの出来事のことです。けれども、躓いて、砕かれていたぺテロは、もうあの日のような答え方はしませんでした。「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」。彼は「自分のことを一番よく知っているのは自分であって、あなたではありません」という、あの過去のうぬぼれていた失敗から、立ち直っていました。ですので、「わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」。と、心から謙遜になっています。すると主は「わたしの羊を飼いなさい」と、言われました。ここでも主は。三回の会話の中で同じ意味の言葉を少しづつ変えておられます。主の問いの「わたしを愛しているか」は、もちろん信仰も大切だが、愛こそ最も重要なのだと言われているのです。ぺテロに限らず、主は躓いた者たちを立ち直されて躓くことのないようにさせてくださいます。それには。私のために死んで下さった主を、心から愛する者へと変えてくださることから始められます。そして、主の羊のことを本当に考えられるようになれば、私たちはその時人々のために喜んで犠牲を払うことが出来るようになるのです。今週も、主の平安を心からお祈りいたします。この祈り主の御名によってお捧げ致します。アーメン

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