主日礼拝要約日時2020年5月17日 10:30分~ 2020年5月17日 九段教会 特集

集会名 九段主日礼拝(要約)  日  時 2020年5月17日 10:30分~

場 所 九段教会         聖書箇所 ヨハネによる福音書16章25節-33節 新共同訳

説教者 田名尚文         讃美歌  545,7,280, 285, 543

説教題 「主は世に勝っている」

主イエスの弟子たちは、主の語られたことを覚えて、信仰告白をしました。「あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます」(30節)。ところが、この告白を聞いた、主イエスは言われます。「今ようやく、信じるようになったのか。だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ」(31節)。熱い視線を弟子たちから受けた主は水を掛けたようにも感じられます。しかし、主イエスは弟子たちの本当の姿を見抜いていたのではないでしょうか。確かに弟子たちは立派に信仰告白しました。けれども、その舌が乾く前に、自分を見捨ててしまうと語ったのです。立派な信仰告白をした弟子がやがて主を残して逃げ去ってしまう。そのように弱い私たちをご存じの主は、私たちを心から愛してくださり慈しんでくださいます。今日でも、立派な信仰告白した人たちが、自分の立場が危うくなったり、名誉が傷つかれそうになると平気でキリスト者とは思えない行動を起こしてしまいます。ですから、主の弟子に対してはっきり言われます。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである」(ルカ9:23-24)。そこには自分が傷つかないように考える生まれながらの古い自分が居るのです。それを捨てて、本当に古い自分に死なないならば、結局主を傷つけてしまう。主にあるきょうだいを傷つけてしまう弱い存在の自分が居るのです。しかし、主は私たちが逃げ去っても、主はひとりではなく、父なる神が共にいてくださると言われます。そこが私たちと主との大きな違いではないでしょうか。私たちも主と堅く結びつくならば、独りぼっちになることがありません。失敗することもないはずです。その弱い弟子たちをこの世に残していかなければなりません。そこで主は、弟子たちに最後に言っておかなければならないことを語りました。これを話すのは「あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(33節)。主がいなくなった後に、弟子たちの不安は常にあります。私たちキリスト者がこの世で生きていくためにはどうしても苦難を避けることが出来ません。その苦難に自力で立ち向かうのではありません。もしそうならば、いつも敗北と挫折を繰り返さなければなりません。主は「既に世に勝っている」お方です。主は全てに打ち勝たれました。そして最後に、サタンに打ち勝つだけでなく、父なる神様に従い十字架上に掛かり命を投げ出されました。このことによって、サタンに支配され、死を恐れる人々を解放されたのです。ですから、この方を信じて共にいてくださることに感謝いたしましょう。主の平安を心からお祈りいたします。この祈り主イエスの御名によってお捧げ致します。アーメン

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