回心するとは

 回心するとは「聖書の基準に従って生きることを決断する」ことです。聖書の中の律法や命令は、罪の世の中の悪からの救済ではありません。むしろ、それらはどうして悪いことが起こるのかと言う説明なのです。
 律法は、人々の罪を明らかにします。聖書は、「律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです」(ローマ3:30)。と語ります。
 律法は、鏡のようなものです。私たちを罪に定めることは出来ますが、私たちを変えたりすることが出来ません。読むたびに、私たちに挑戦を与えますが、私たちを、回心させることは出来ないのです。私たちを永遠に、神様から引き離すことであったり、死に導くことだけは出来ます。しかし、神様の愛と臨在を、永遠に楽しむいのちに導くことは出来ないのです。

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