見ないのに信じる人は、幸いである

十字架上で死んだ主イエスは三日後に復活された。そのことを知らなかった弟子のトマスは「あの方の手に釘の跡を見、この指を針跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹にいれてみなければ、わたしは決して信じない」(ヨハネ20...

わたしの 軛(くびき) を負いなさい

 主イエスは「わたしの軛は負いやすく」なる(マタイ11:30)と言われました。さらに、「わたしの軛を負うことによって、安らぎが得られる」と言われました。「軛」は、牛や馬の首に木製の型をはめて重荷を均等に掛けられるようにし...

重荷を負う者は、休ませてあげよう

 主イエスは、「わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう」(ヨハネ14:14)。と言われました。どんな大きな絶望に出会ってもキリスト者は最早一人ではありません。主イエス・キリストが永遠に私たちと共に歩...

恐れることはない

 主イエス・キリストは、私たち人間の歴史と人生の最初のものであり、最後のものです。ですから、私たちの人生を始められたのは主イエス・キリストであり、完成させるのも主イエス・キリストであるということです。しかしその主イエス・...

神が共にいてくださる

 イスラエル人の挨拶の一つは「シャローム」です。これは平和があるようにと訳されます。しかし、単に争いがなく、のどかであるという意味ではありません。どんな時でも「神が共にいてくださる」と言う意味があります。そこに平安と幸い...