モーセは、二度とファラオの王宮に戻らない決断をして生ける神に従う道を選びました。私たちの持つべき信仰もそうです。一度、悔い改めてキリストに立ち返ったならば、もう戻る道はありません。私たちは、神様と共に、エキサイティングな新しい生活をスタートさせるのです。主イエスはこのように言われました。「鋤(すき)を手にかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」(ルカ9:62)。この前進の道を聖書では、信仰と呼びます。そして、何を信仰の対象にするのかが重要なのです。
キリスト者は、宗教的な行動や大げさな道徳的改革の考えや、計画を信仰の対象とするのではないからです。キリスト者は、主を信じています。信仰の対象である、その人の名はイエス・キリストです。