参考:『ハイデルベルク信仰問答』(改革教会信仰告白集・関川・袴田・三好著/教文館』
「問42 キリストが、私たちのために、死んでくださったのなら、どうして、私たちも、死ななければならないのでしょうか。答 私たちの死は、私たちの罪の代価の支払いではありません。そうではなく、私たちの死は、罪の絶滅と永遠の命への入り口なのであります。」すなわち「私たちの死」は、ただ「主イエス・キリストの死」によってしか、真実の意味をとらえることが出来ないことを表しています。そこで私たちの死について、二つのとらえ方があります。第一に「罪に対する死」。第二に「永遠の命の入り口としての死」です。第一はアダムによって罪がこの世に入り、死が入ってきました。すなわち神と向かい合って生きる存在であった人間は、罪の結果、死と向かい合って生きる存在となりました。第二は主イエスが十字架上で私たちの罪を贖うために身代わりとなって、私たちがうけなければならなかった「神の裁きとしての死」を死んで下さいました。そのことにより私たちの死の意味が変わったのです。主イエスの十字架によって私たちの罪が贖われ「死の意味の転換」が起きたのです。私たちの死は滅びの死ではありません。永遠の命への入り口として死となったのです。