私たち多忙な現代人は、日曜日は趣味、娯楽の日、家族の憩いのための日と考えられています。それを、教会の礼拝に用いるのは勿体ないと考えておられる方もいるのではないでしょうか。日曜日の礼拝が、生活を犠牲にしてまで重要なのかという問いです。その答えは、日曜日の主日礼拝の意義を知ることにより明確になります。
まず、礼拝こそ人生の最大の喜びであって、目標であるということです。聖書に「神は御自分にかたどって人を創造された」(創世記1:27)。とあります。それは、人が神様と交わりをする者として創造されたことを意味しています。ですから、礼拝は、人間に与えられた特権であり、神様との交わり、応答、祝福を受けるためなのです。すなわち、礼拝を守らないことは、その特権を捨てることであって、人である基盤そのものを失うことになるからです。