教会が日曜日の礼拝を重んじるのは、主イエス・キリストが、罪と死の力に打ち勝って、復活し墓より出てきたのが日曜日の朝であったことによります。教会は、それ以降、日曜日を「主の日」,「聖なる日」として重んじ、礼拝を捧げることによって、神様を褒め称え、感謝と喜びを表してきました。さて、礼拝の中心は、説教ですが、これは牧師個人の考えや思想を語るのではありません。御言葉の解き明かしがなされます。説教は、私たち罪の悔い改めへと迫り、十字架による罪の赦しを宣言します。ひとり一人が、神様の御前に立たされ、キリストの救いと恵みを受けて、信仰者としての喜びと力を与えられます。賛美も献金も、神様の救いを受けた者としての感謝の行為なのです。