1875年(明治8年)にメソジスト派教会として神田にて創立
九段教会は今年で創立146年目を迎えました。アメリカメソジスト監督教会から派遣された宣教師、ジュリアス・ソーパーが1875年(明治8年)に神田の地で伝道をはじめ、最初の信徒となった古川正雄がソーパーより洗礼を授かり、九段教会の前身となる神田教会が形成されました。
九段教会の信仰的伝統は英国国教会の牧師ジョン・ウェスレー(1703ー1791)の信仰を継承するメソジスト派に源流を持ち、日本のプロテスタント教会の歴史においては十番目に古く、メスジスト派教会としても日本で四番目に古い教会となります。
ソーパーが神田の地で伝道を始めた頃、神田界隈には多くの寺子屋があり、最初に洗礼を受けた古川正雄も神田錦町3丁目にあった自宅敷地内で、読み書き・そろばんに英語を科目として組み入れた私塾、「錦裔塾」を設けていました。
ソーパーは古川の経営する錦裔塾の生徒に英語を教える傍ら、日曜日には塾生を中心に25名程度の会衆に向けキリスト教の説教を行っていました。
その後、集会出席者数が増加するにつれ、教会の場所も数回変わりました。そして1897年(明治30年)に、当時青山学院の院長を兼務していた九段教会6代目の牧師本多庸一のもとで、新しい会堂を現在地に建設することが決定されました。
新約聖書のマタイによる福音書7章24-27節に記されているように、土台がしっかりした九段の高台が候補地として選ばれました。また、その時に教会名を日本九段美以(メソジスト)教会に改称しました。
1898年(明治31年)に最初の会堂を献堂
翌1898年(明治31年)に、米国のボストンにあるトリニティーチャーチをモデルにしたヨーロッパ風の最初の会堂が献堂されました。
この初代の会堂は、明治から大正、昭和にかけての社会変動の大きな時代に、幾多の困難に遭遇しながらも、多くの人たちにイエス・キリストへの信仰を与えてきました。
そして、1945年3月の東京大空襲で焼失するまでの約半世紀にわたり、この会堂で毎週礼拝が守られ、祈りと宣教の場となってきました。
1950年(昭和25年)に東京大空襲で焼失した会堂を再建
東京大空襲によって最初の会堂と牧師館が完全に焼失しましたが、1949年(昭和24年)に当時の藤岡潔牧師と信徒との祈りの中から、会堂の再建が決定されました。
そして翌1950年(昭和25年)に、戦災復興資金を一部活用した二代目の会堂が献堂されました。
二代目の会堂は、こじんまりとした暖かみを感じさせる木造の建物が特徴的でした。大小様々の樹々に包まれた敷地の中にあったことから、「都会にある森の中の教会」として長年多くの人に親しまれていました。
戦後再建したこの新会堂で教会は歩みを進めました。1960年(昭和35年)には都田豊三郎牧師のもと、創立85周年記念式典が執り行われました。
その後、牧師館新築など施設の充実を図りつつ、教会活動も青年会や婦人会を中心に大変活発となり、1963年(昭和38年)には宗教法人日本基督教団九段教会として正式に発足しました。
1975年(昭和50年)には創立100年を迎え、同年10月12日(日)に創立100年記念礼拝をお捧げし、九段教会は第二世紀を歩み始めました。
1960年(昭和35年)
1977年(昭和52年)
1993年(平成5年)
1995年(平成7年)に第3代目となる現在の会堂を献堂
九段教会創立120年を記念して1992年に三代目となる会堂の新築が決定されました。教会堂の再建計画自体は前会堂の老朽化に伴い20年ほど前から検討されてきたものでしたが、幾多の試練に直面し実現に至らず、長い時間を経て1995年(平成7年)に実現したものでした。
教会堂の特徴
第一にノアの箱舟にみられる救いの教会を、帆を高く掲げて未来へ向かって歩む教会をイメージし鋭角的な構造になっていることです。
第二は礼拝堂内部において、「十字架を見上げて」主を賛美するようにと努め、主イエスがゴルゴダでかけられた「木の十字架」を聖壇の正面に掲げたこと、また教会の伝統である「恵みの座」を設けたことです。
第三は教会に来られた方々が心の安らぎを得られる場所を十分確保するための空間が多く取り入れられていることです。
クリスマス記念写真
九段教会のこれからの歩み
九段教会は、日本におけるプロテスタント信仰の歴史とメソジストに遡る教派的伝統をしっかりと継承しながら、明日に向かって開かれた教会を目指しています。信仰の証として十字架を大きく掲げ、イエス・キリストの風をはらんで全身で風を受けとめ、九段の地においてグローバル化時代に相応しい教会、地域に開かれた教会という願いと強い信仰をもち、み言葉に生きる教会として、神の御委託に応えていきたいと思っています。
九段教会沿革
1875年 | 創立者 J・ソーパー | 1月17日、神田錦町3丁目4番地古川正雄宅において、宣教師司式で最初の礼拝が行われる。これが九段教会の前身、神田美以教会の誕生の日となる。 |
1881年 | 第1代 平田平三牧師 | 選任伝道師として任命され、初代牧師となる。 |
1882年 | 神田今川小路二丁目十七番地に土地を取得。最初の教会堂を建立。神田美以教会として四季会が組織される。 | |
1883年 | 教会堂の増築、牧師館の建築。 | |
1884年 | 第2代 山鹿旗之進牧師 | 日本美以教会第一回年会が明石町教会にて開かれる。 |
1887年 | 第3代 石坂亀治牧師 | 神田錦町に320坪の土地を購入し教会移転計画を策定するが、地盤が弱く他所への再移転を検討。 |
1891年 | 第4代 石川和助牧師 | 神田錦町に別の土地を購入(古川宅の北方)し、教会は移転。 |
1892年 | 会堂建築に着手するも、4月10日早朝の火事により焼失。 | |
1893年 | 神田の土地を売却し、九段坂上の現在地を購入する。 | |
1895年 | 第5代 池田徳松牧師 | 教会堂の設計がアメリカメスジスト監督教会にてなされる。 |
1896年 | 第6代 本多庸一牧師 | 教会堂建築の設計等について入念な協議がなされる。 |
1897年 | 第7代 中川邦三郎牧師 | 5月に牧師館完工、7月に日本美以教会監督ジョイス氏の司式により会堂定礎式執行。教会名を日本美以九段教会に改称。 |
1898年 | 2月19日 ソーパーの司式によって日本美以九段教会奉堂式執行。 | |
1902年 | 第8代 本多庸一牧師 | |
1903年 | 第9代 山鹿旗之進牧師 | |
1906年 | 富士見町教会献堂式 | |
1907年 | 日本メソジスト教会第一回総会が青山学院にて開催。各会派に所属していた各教会は「日本メソジスト教会」の名のもとに統一される(初代監督本多庸一就任)。 | |
1914年 | 第10代 中川邦三郎牧師 | |
1922年 | 第11代 二階堂真寿牧師 | 九段教会創立二十五年記念祝賀会。 |
1923年 | 9月1日に起こった関東大震災では、大きな被害を被ることなく、むしろ近くの学生等の避難所として用いられた。 | |
1924年 | 第12代 萩原明牧師 | |
1926年 | 在京「メソジスト教会連合修養会」が九段教会で開催される。 | |
1927年 | 第13代 矢内哲牧師 | 4月27日に東京市にある教会の親睦会を九段教会で行う。 |
1928年 | 第14代 中川邦三郎牧師 | 第一期教会修理を行う。 |
1930年 | 第15代 佐藤敬一郎牧師 | 讃美歌指導、聖歌隊の組織がなされる。 |
1933年 | 第16代 藤岡潔牧師 | |
1936年 | 1月12日に日曜学校教室の新築開館式が行われる。 | |
1941年 | 6月24日に日本基督教団総会が富士見町教会にて開か、「日本基督教団」が発足し、九段教会も加わる。 | |
1943年 | 市内教会連合において「山本元帥の国葬逍拝式」が九段教会にて開催。 | |
1945年 | 3月9日の夜半、東京大空襲にて九段教会は全焼。尚、この事件のため九段教会の歴史的記録はすべて焼失。 | |
1947年 | 5月11日より東京YMCA(富士見町)にて礼拝を守る。 | |
1949年 | 6月12日教会堂再建を決定。教会堂再建委員会を組織。 | |
1950年 | 10月29日 内外協力会の復興援助を受け、二番目となる新会堂の献堂式を執行。 | |
1952年 | 高柳伊三郎担当教師 | |
1954年 | 教会総会にて牧師館建築のための収入の一割を資金として貯蓄することを決定。 | |
1957年 | 伝道師 植村敏雄師 | |
1959年 | 第17代 都田豊三郎牧師 | 九段教会牧師館建築案が承認される(1月25日臨時教会総会)。宣教百年記念式典にて信仰生活50年以上の人6名が表彰される。 |
1960年 | 11月6日に教会創立85周年記念礼拝、及び記念式典が執り行われる。 | |
1961年 | 教会機関誌「まじわり」が発行される。 | |
1963年 | 宗教法人日本基督教団九段教会が発足。 | |
1965年 | 10月31日に九段教会創立90周年記念礼拝、記念式典が執り行われる。 | |
1975年 | 10月12日に教会創立百周年記念礼拝及び記念式典が執り行われる。記念事業として会堂修理、教会墓地購入等が決定される。「九段教会百年史」が編集出版される。 | |
1977年 | 11月20日に教会堂修築、墓所構築記念礼拝が守られる。これによって創立百年継続事業が完結する。 | |
1980年 | 6月8日に墓所完成感謝記念会が九段教会墓地にて行われる。 | |
1984年 | 第18代 太田實牧師 | |
1986年 | 教会規則の検討がなされ、3月8日の臨時教会総会で「九段教会規則」が承認される。 | |
1988年 | 教会建設検討に関する委嘱。 | |
1989年 | 第19代 勝山健一郎牧師 | |
1990年 | 教会建設員会を設置し、新教会堂の建設に関し積極的に取り組むことを決定。 | |
1992年 | 教会建築に伴う「教会員全員懇談会」が二回開催され、教会建築に関する必要な手続きを開始。 | |
1993年 | 新会堂の設計を大岡山建築設計研究所、施工を大明建設に依頼する。2月20日に新会堂建築にあたり定礎式を実施。10月3日には現教会堂感謝礼拝が125名の出席者によって守られる。 | |
1994年 | 来年の教会創立百二十年の記念誌編集委員会を組織。新教会堂が完工され、11月28日に引き渡し式が行われる。新教会堂入堂式を12月11日主日礼拝の中で行う。 | |
1995年 | 1月22日に教会創立百二十年・献堂感謝礼拝を行う。3月18日教会創立百二十年記念式・献堂式を執り行う。 | |
2006年 | 第20代 佐久本正志牧師 | |
2012年 | 第21代 高田和彦牧師 | |
2019年 | 第22代 田名尚文牧師 |